佐藤亜紀『メッテルニヒ氏の仕事』第三部

メッテルニヒには有名な回想録がある。
この回想録という形式はヨーロッパ文化圏ではやや特殊な位置にあり、伝記(日本でいう歴史物のビジネス書にあたるそうな)に飽き足らないビジネスパーソンが、歴史的な業績を残した当事者が語る声に触れ、人生や仕事の参考にするために読むものであるらしい。
しかし、当事者の声とはいっても、それは書き手によって人工的に加工された声である。

 しばしば勘違いなさる方がおられるが、回想録、とはフィクションの一形式である。その辺りが実録を標榜する自叙伝や告白とは異なるところだ。より恥知らずな形式とも、己を心得た形式とも言える。事実に基きながら厳密には事実とは言い難いことを物語るのが回想録であり、もっと言ってしまうなら、事実に基いてフィクションをでっち上げる形式である。恥知らずなのは、そのフィクションがはなはだ書き手に都合よく展開するからであり、己を心得ていると言うのは、どれほど真摯になろうと厳密な事実を自分について語るのはほぼ不可能であること、赤裸だと主張すればするほど、そう呼ばれる仮装をする羽目になることを前提としているからである。
佐藤亜紀『検察側の論告』P217

 回想録の最終的な目的は、同時代の歴史においてなにがしかの役割を果たした「私」が、実はどのような人間であったかを自分の口から語っておくことです。自分が置かれた状況も自分が果たした役割も、全てその観点から記述されます。回想録は歴史研究の資料として扱われることもあるものですが、しばしば内容の真偽が問題にされます。その結果嘘吐き呼ばわりされる者は数知れない訳ですが、実際には、他に証言のある歴史的事実との齟齬や、意図的な、或いは不注意による不正確さも、回想録が吐く最大の嘘ではありません。回想録において最も際どいフィクションは、語りながら語られる「私」そのものです。「私」をどういう人物として記憶しておいて貰いたがっているか――回想録の最大の価値は、むしろそこにあります。
佐藤亜紀『小説のストラテジー』P180

タレイランは回想録で、「豊かな内面の生活を諸般の事情から蔑ろにせざるを得なかった感受性豊かな人物として自分を描き出そう『小説のストラテジー』P181」としているし、メッテルニヒの場合は「義務感から身を粉にして働いた真面目な男『小説のストラテジー』P181」というのが自己イメージだという。尤も、メッテルニヒの場合はこの自己イメージの演出に失敗しており、むしろ私信の自分語りの方が面白い、とされる。
第三部ではまず、メッテルニヒ氏の恋文について語られる。メッテルニヒ氏の恋文は死後公刊されているものが二つあり、メッテルニヒ氏自身も、それらを作品と看做していたという。自らを劇化することに不得手なメッテルニヒ氏ではあるが、その恋文には、そうした欲求が現れているのである。

彼は自分の仕事が――仕事をしている自分が好きではない。計画Aが不首尾に終わり、計画Bに着手する前に、メッテルニヒ氏は自分が人間であることをさらけ出したい。キング閣下を陥れてチロルの叛乱計画を反仏派皇族もろとも粉砕した挙げ句イギリス人からゴルドーニの喜劇の悪役呼ばわりされる傍らでは、不幸な恋愛を感傷小説ばりに歌い上げ、自分の心の所在を確かめておかないと気が済まない。そこまで込みで初めて、メッテルニヒ氏にとってのメッテルニヒ氏という物語は完成する。
文學界』8月号P65

以降、ライプツィヒの戦いを経てパリ入城を目指すまで、サガン大公妃ヴィルヘルミーネ(ヨーロッパ政界のパイプ役を担っている重要人物である。ただし「プロ意識がないP60」)に宛てたメッテルニヒ氏の恋文がふんだんに引用され、メッテルニヒ氏の自己イメージを語る声に、語り手は事実を付き合わせながら、ポリフォニックな中からメッテルニヒ氏の人間像を立ち現れさせる。
まるで男子校のような気風のプロイセンや、二十年ぶりの勝ち戦で覚えた昂揚感、容貌も考え方もキャッスルレーに似ているという不可解な主張を、仕事に対する重圧感と自負心を交えながら、メッテルニヒ氏は手紙に書く。一方で、同盟軍はパリへ着々と進軍する。この途上での惨状を目の当たりにした、メッテルニヒ氏の諦観と決意に満ちた声の強さには瞠目せざるを得ない。

 ――ぼくはトロワにいる。ここにいるのでなければもっときみのことを愛しているだろう。この町は、甘い、幸福な感情を欠片ほども呼び起こさないからだ。今日は前の倍にも増えた人の波に逆らって歩いた。ここにはもう何もない。家の体を為した家も、立っている木も、馬も――死んでいない人も殆どいない。四度も街道で戦闘があったのだ。占領していた人々は残らず殺され、誰も葬りさろうとさえしない。戦争は醜い。全てを汚す。想像力さえ。
 ――地上では、ぼくがけして到達出来ない種類の平和がある。ぼくは残る生涯を、愚者や狂人と戦って過ごすだろう。
文學界』8月号P87

ところで、フランス国内を進む同盟軍がナポレオンの反撃に遭う場面があるのだが、ここでの記述が大変印象的。和平受託の書類を持ったマレを迎えるナポレオンが同盟軍のブリュッヒャーの突出を指摘すると、早期のパリ入城に固執するアレクサンドルが同盟軍総司令部を引っ掻き回している様子が描き出され、次の瞬間には案の定ブリュッヒャーはナポレオンの餌食になっている。恐慌状態に陥る同盟軍総司令部。そしてオーストリアなしでは戦争に勝てないと反省するアレクサンドル、とめまぐるしく動く状況が、怜悧な筆致から鮮やかに語られる。うーん、すごい。

文学界 2012年 08月号 [雑誌]

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