佐藤亜紀『金の仔牛』最終回

第三回目の前回で大体半分を過ぎたくらいかな、と見当をつけていたら今回でいよいよ最終回。
前回の終わりで、ニコルはカトルメールに、250株を、相場が100下がる度に買いと売りを同時にやることを指示される。すると250株はそのままに、現金が残る。今回も引き続きこの作業を繰り返し、ニコルはアルノーの補償金をついに確保する。
実はこれの仕組みがよくわからなくて先月号を読み終わった後、電卓を叩いたりもしたのだが、ニコルからこの「売って買って」の方法を買い取ったヴィゼンバック兄弟の説明によると、下がり基調で底を見極められない時に有効な手段であるという。しかも底を見極めて一度に買い付けるよりも、手元に残る現金に加え、株が値上がりをすれば250株がまるまる利益になる。
このミシシッピ株の下がり基調の際に、2240万の資金を投げ打って株を買い支えたアルノーは一躍名を上げ、ミシシッピ会社総裁のオルレアン公にお目通りも叶い、その後ろ盾の元に無事ニコルとの婚礼を挙げる。
というわけでアルノーとニコルは結ばれるのである。目出たい。
ニコルはアルノーに連れ出された経緯や、母親のルノーダン夫人の語る逸話から、当初はファム・ファタル的造形だと推測していた。もしそうならばアルノーは素寒貧になるか車刑になるか肉切り包丁で切り刻まれるかであり、作中に不吉な予兆が鏤められる度に、やはりそういう話なのかと思っていた。アルノーも当初はニコルを評してこうである。

――畜生、あの女は贅沢が好きだ。贅沢をさせてやれば幸せなんだ。贅沢をさせてやらなかったら――或いはもっと贅沢をさせてくれる相手を見つけたら、平気でおれを捨てる、そういう女なんだ。雌犬め。
2月号P76

ところが、ニコルはそういう女ではなかった。いや、確かに、一面では「そういう女」ではあるのだ。それも恐ろしくコケティッシュに。

ショコラの香りにニコルは鼻をひくひくさせる。鏡でシュザンヌが髪を結い上げるのを眺めながらショコラに口を付ける。熱過ぎもぬる過ぎもせず、驚くほど滑らかで驚くほど香りがいい。唇に付いたショコラを尖った薄い舌先で嘗めとる。シュザンヌは髪を上品に纏めあげる。誰かが髪を上げてくれるって、何て素敵なんだろう、と彼女は考える。それにあたしって何て可愛いんだろう。
2月号P72

 母親は溜息を吐く。――100万貯まったらほんとに一緒になるの?
 ――なる。そりゃもう絶対だよ。
3月号P197

 そして、結婚式ではルノーダンに向かって舌を出してみせさえするのだ。
 かと思えば、酸いも甘いも噛み分けたような面も見せる。

 アルノーは部屋着を引きずって歩き回る。ニコルはそれを見て悲しくなる。何ていい男なんだろ。それに何て馬鹿なんだろ。
3月号P178

これはもう断然応援したくなるわけである。
ファム・ファタルとはなんぞや、を論ずるに些かならず手に余るが、『マノン・レスコー』がファム・ファタルの元祖だとすれば、あの作品には男を惑わせる運命の女というものは存在せず、ただただ自滅する男がいるだけだと思うし(デ・グリューに出会わなければマノンもあそこまで大変な目に遭わなくてもすんだのではないかしらん)、形式に着目すれば、人物造形の大分違う『カルメン』にせよ、或いはそれらのパロディ的な側面を持つ『ロリータ』にせよ、破滅した男の告白であることは見落とせないし、例えば告白形式ではない『ナナ』は基本的に皆破滅するシリーズの一編であるし……と破滅した男が後から振り返っているからファム・ファタルなのであって、破滅しない男ならばファム・ファタルファム・ファタルたり得ないのではないか、と考えたくもなるが、運命を左右するという点でも魅力という点でもファム・ファタルとしての資格十分のニコルは、男を破滅から救うのである。
ニコルとの結婚後間もなく、アルノーは夢から覚めるがごとく株から足を洗い、カトルメールも一足先にロンドンに河岸を変える。ミシシッピ株は9000で固定され、カンカンポワ街も店仕舞いの様相を見せ始めた頃、パリのアウグスティノ会修道院の地下の納骨堂にもぐりの市場が出来るのである。
これに先立って、破産の噂が流れたのがきっかけでオーヴィリエがマンナイアと共に一旦退場している。そこへ、アルノーが足を洗ったことで、契約が終わったナタンは一度に借金を回収しようとしてオーヴィリエの怒りに触れて殺され、金貸しに800万リーヴルを盗まれたと考えたオーヴィリエは方々の金貸しを荒らして回りはじめる。このオーヴィリエを始末する必要が、ヴィクトール親方をはじめとする泥棒たちの間に生じ、オーヴィリエの首には40万リーヴルの賞金がかかるわけであるが、この賞金をオーヴィリエ自身に株で稼がせようという話で(いや酷い)、このもぐりの市場はいわばオーヴィリエを誘き寄せる罠なのだ。このもぐりの市場作りを任されたゴデは、そんなことは露知らず、カンカンポワ街で行われる取引の十倍を一日でこなし、月の取引が延べで90億リーヴルにものぼる、数字だけで行われる「システム」をはりきって完成させる。この化け物のような代物をコントロールするために、田舎に引きこもっていたカンカンポワの英雄アルノーが引っ張り出され、アルノーに恨みを抱くオーヴィリエは、思惑通りもぐりの市場に誘い出される。
で、実際オーヴィリエはこの市場で40万稼ぐわけである。正確には代理人の蜥蜴が、であるが、この蜥蜴はかつてルノーダンの店に出入りしていたことのある凄腕の空き巣で、ルノーダンの指示を受けている。ルノーダンの目的は、アルノーを破産させること(オーヴィリエがもぐりの市場に持ち込んだ100万リーヴルには出資者を募って集める例の補償がかけられているようだ。100万リーヴルもルノーダンが用立てたのだろう)、それから、この実体のない経済の究極の具現化ともいえるもぐりの市場を破壊することにもあったのではないか。
ルノーダンはこの一連のバブルに対して、一貫して嫌悪感を隠そうとしない。多数の貴族が集まったニコルとアルノーの結婚式でも、ルノーダンだけがひとり居心地の悪さを体験する。株屋らしき者が貴族で、貴族に見えるものがどうも株屋らしいと思ったらやはり貴族で、貴族らしい者が株屋で、と「故買屋の娘と追い剥ぎの」の結婚式には多数の貴族と、貴族に見える株屋が列席している。

お仕舞いだ、世界は壊れちまった、とルノーダンは心中密かに嘆く。P120

娘をアルノーに奪われた僻目があるにせよ、ルノーダンの醒めた眼差しは、貴金属を提出して作った金の仔牛を崇拝する民衆を眺めるモーゼに擬せられるだろうか。金貨銀貨を没収して紙の株券や紙幣をばらまく貴顕紳士を「派手な癲狂院に詰め込まれた瘋癲の群れP120」と評するのが故買屋、というのが何とも面白い。
盛況を見せるもぐりの市場だが、国がミシシッピ株と紙幣の段階的切り下げを発表すると、株価が暴落を始める。財務総監が更迭されたという噂が流れ始めると、蜥蜴は「売って買って」をしだし(ルノーダンがヴィゼンバック兄弟から聞いたのを教えたのだろう)、最終的にルノーダンの指示通り買い集めておいた1500株をここぞとばかりに売り浴びせ、もぐりの市場を崩壊させる。
ルノーはオーヴィリエとの例の賭けを続けており、市場の崩壊はアルノーの破産を意味する。
破産したアルノールノーダンとオーヴィリエが迎える、翌日のルノーダンの家の一場が絶品だ。必然のどんでん返しが起こるのだが、ここぞとばかりにナタンの口調を真似るアンリ、母親がいると思しき方向に手を振るニコル、豹変するルノーダン、肩を落とし退場するオーヴィリエ、と全ての登場人物が絵になっている。何一つとして無駄がない完璧な構図は、第一回目冒頭のルイ十四世治下の時計専門の侍従の逸話のように、この作品が「正確無比な時計」そのものであることを思い起こさせる。

 目を覚ましても、まだ顔には笑いが残っていた。誰かが毎日螺子を巻いて時間を合わせている正確無比な時計が朝の四時を打つのをぼんやりと聞きながら、2240万だとさ、と考える。
P128

「システム」とその変奏が数多く登場し、作品自体も極めてシステマティックだといえるが、夢の中にいるかのような、或いは全てが夢だったかのような幻想的な雰囲気もまた持ち合わせている。最後の馬車の中で半睡状態にあるアルノーが聞く蹄の音は、アルノーを夢の中に居続けさせるものなのか、はたまた夢を破る兆しだろうか。

小説現代 2012年 05月号 [雑誌]

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