バラージュ・ベーラ他『青ひげ公の城 ハンガリー短編集』

二十世紀初めのハンガリー作家の短編集。表題作の『青ひげ公の城』が目当てだったが、収録作が粒ぞろいだったので逐一紹介してみることに。

ヨーカイ・モール『蛙』

ヨーカイ・モールはハンガリー独立運動にも参加した、十九世紀後半のハンガリーを代表する国民作家で、ヨハン・シュトラウスの『ジプシー男爵』の原作者でもある。神田の古本屋で主要作の英訳本が比較的手に入りやすかったそうで、明治大正期には日本でも愛読者が多かったのではないか、と訳者の徳永康元は書いている。
『蛙』は語り手が法律学生だった五十年前(十九世紀前半)のことを回想する作品で、友人の里帰りに付き合った際に立ち寄った居酒屋で「ちび蛙」と呼ばれる孤児の少女に出会う話。
その少女はハンガリー平原を根拠としたベチャールというアウトロー集団の首領株、伊達男のヨーシカの娘で、ヨーシカがしょっぴかれて縛り首になるので、その孤児の面倒は誰が見るのか、と語り手が疑問を口にすると、プスタ(ハンガリー平野の草原地帯のこと)が世話をする、と居酒屋の女主人が答える。やがて、ベチャールの老人が馬でやって来て、「ちび蛙」に砂糖入りの葡萄酒やジャケットを与えて去って行く。
居酒屋の女主人も、かつて女出入りでベチャールの仲間に主人を殺されているとか、セルビアに逃げているとかいう噂で、非常に濃い。ハンガリアン・ウエスタンな世界を妄想してしまうが(『ヴェラクルス』にはハプスブルク家出身のメキシコ皇帝マクシミリアンが登場するし)、多分そういうものはハンガリーには既にあるんだろうな。
このやり取りなんかセルジオ・レオーネの絵面で脳内再生される。

「いいかね、あすの朝――そこにある郭公時計が六つ鳴ったらな、この子にお祈りさせてやってくれ」
「じゃあ、やっぱりあしたなの」
「あすの朝だ。六時だとよ」
 その時刻に、ちび蛙の父親で、気っぷのいい若い衆だった伊達者ヨーシカが、縛り首にされるのだ。
P18-19

モーリツ・ジグモンド『七クロイツァー』

農村の出身で、農村や地方町の生活を描いた自然主義的な作風のモーリツ・ジグモンドは、ハンガリーのリアリズム文学の巨匠と呼ばれている。『神の脊のうしろ』がハンガリーの『ボヴァリー夫人』と評価されているとの。映画『だれのものでもないチェレ』の原作者。
『七クロイツァー』は、モーリツ・ジグモンドを一躍有名にした出世作で、クロイツァーとはオーストリアハンガリー二重帝国時代の安い貨幣のこと。
貧しくても楽しい暮らしだった幼年時代のことを回想する語り手が、母親と七枚のクロイツァー銅貨を探した、というだけの話である。
洗濯に必要なシャボンが七クロイツァーで、手元には三クロイツァーしかない。母子は宝探しを楽しむように、笑いながら部屋中ひっくりかえして六クロイツァーまで掻き集めるが、七クロイツァー目がどうしても見つからなくて、途方に暮れる。そこへ年よりの乞食がやって来て物乞いするが、この家が一クロイツァーがないばかりに困り果てているのを知ると、一クロイツァーを置いて去って行く。
民話とか聖人伝説とかが背景にありそうな落ちで、「むしろ、貧しい人々ほど、悲しい目にあっても笑うことができるのだP23」と、素朴な清貧礼賛の内容かと思いきや、ちょっと違うように思われる。母の心からの笑いには、血が混じっているのである。

 こうして笑っているうちに、咳の発作がはじまった。苦しそうな、今にも息がつまるかと思われるような咳だった。両手に顔をうずめ、身をかがめて苦しんでいる母親を、私は一生懸命に支えようとした。そのとき、何かあたたかいものが、私の手に流れて来た。それは血だった。母親の、尊い神聖な血なのだった。ほかの貧しいだれにもまして、ほんとうに心から笑うことのできた人、――それが私の母親だった。
P31

コストラーニ・デジェー『石膏の天使』『水浴』

コストラーニ・デジェーは両大戦間期の代表的な作家で、西欧派の文芸雑誌『西方』で活動した。トーマス・マンが推奨した作家。
という経歴から窺えるように、わりと典型的な近代文学の書き手ではないかと思う。近代が生み出した屈折したインテリゲンチャが主人公の二編を読む限りでは。
『石膏の天使』は、村の教師ヴァリュ・ペーテルが妹夫婦へのクリスマスの贈り物を買いに、ブダペシュトに行くと、天使の石膏像を強引に売りつけられる。工場製品を高い値段で買わされてしまったと後悔するが、いや満更悪くないんじゃないかと思い直したりもする内に、クリスマスがやってくるので妹夫婦の家に石膏像を抱えて行くものの、妹夫婦のブダペシュトの洗練された生活の中にそれを置くと大変惨めな気持ちがわき起こり、何よりも自分自身が歓迎されていない気になり、義弟に対して「以前贈ったビールジョッキやシガレットケースは見当たらないがどうせ捨ててしまったのだろう、お前たちがおれのことを憎んでいるのはお見通しだ」と絡む。とても困った人である。
この悶着の後、妹夫婦に詫びの手紙を送ってからは、ヴァリュ・ペーテルは酒浸りの日々を過ごし、ある農場主のひらいた宴会でも大酒を飲み、雪の降りしきる中、夜道を一人帰る。

 彼はくだらない自分の人生が悲しかった。せまい額や、不細工に刈り上げた髪型や、膝がしらのふくらんだズボンまでが悲しかった。かくれた美しさというものに今まで全く気づかなかった自分の眼も悲しかった。石膏の天使のことも悲しかった。あの天使は自分と同じように、安っぽいあわれな仲間なのだ。
P43

ここまでなら日本近代文学にもありそうなインテリの懊悩、みたいな話なのだが、なんと続いて、ヴァリュ・ペーテルは石膏の天使に誘われて昇天して行くのである。マジック・マジャール

 快いけだるさが身体じゅうにひろがり、眠くてたまらなくなって来た。夢の中に現れた石膏の天使は、雪のように真白で、彼に向かって微笑みかけ、そばへ近づいて来るにつれ、だんだん大きくなるのであった。はじめは人間ぐらいの大きさだったが、そのうちに一軒の家ほどになり、とうとう、山のような大きさになった。石膏の天使がやさしく手をさしのべると、彼はうれしそうに身を投げかけ、その胸に抱きしめられたまま、木の切株から立あがって、一緒に空のほうへのぼって行った。
P43

『水浴』は、バラトン湖畔の水泳場に休暇で来た一家の話。シュハイダは息子ヤンチがギムナジウムラテン語の試験に落第したにも関わらず、追試験のための勉強もさぼるので罰として水泳禁止を申し渡しているが、夫人の取りなしで父子で湖に泳ぎに行く。機嫌をなおした父は息子をふん捕まえて湖に繰り返し投げ込むと、息子は溺死してしまう。
父シュハイダの勉強をしない息子を罵る言葉がいちいちきつい。こっちも困った人です。

チャート・ゲーザ『父と子』

チャート・ゲーザはコントラーニ・デジェーの従弟で、医師で作家で音楽評論家。バルトークを最も早い段階で評価しており、音楽評論家としても慧眼の持ち主であったようだ。
『父と子』は、アメリカから帰って来た技師が、父の遺体を引き取りに病院を訪れる。
母は貧しく、父を埋葬するにも事欠く有様で、父の遺体を病院に置いてしまったものだという。父は結局、解剖の教材にされ、解剖室に陳列されていた。息子のジェトヴァーシュ・パールは、費用を払って父の遺体を引き取る。
最後の父を引き取る場面が印象深く、チェーホフ風の名品だと思う。

 広い廊下を横切って進むと、何人かの遅刻した医学生が、人体標本を運んで行くこの男を見守った。標本の手足は、奇麗に髭を剃った男に無器用にかかえられて、奇妙なダンスを踊っているように見えた。父と子が……。
P65-66

ヘルタイ・イェネー『運命』『死神と医者』

ヘルタイ・イェネーはユダヤ系の作家。生涯をブダペシュトで過ごした都会派作家で、どこかカフカを思わせるような幻想的な作風。
『運命』は「全ての女性の口には、彼女と接吻する運命を持った男の名前があらかじめ記されている」というアラビアの詩人の言葉を引いて、どうしても結ばれなかった女性のことを語り手が回想する。
「わたし」は、若いカフェーのレジスター恋い焦がれるものの、つれない対応をされ続けていた。彼女は、他のどんな相手とでも懇ろになるのに、「わたし」には絶対取り合ってくれないのだ。二年経って、彼女に再会し、ついに会う約束を取り付けるが、それもすっぽかされる。さらに七年たって、田舎のカフェーでまた彼女に会う。昔のような高嶺の花だった頃の面影は既になく、「わたし」の熱もすっかり醒めていたが、「わたし」は自分でもわからずに彼女を口説く。彼女も承知し、「わたし」は十年越しの想いが叶う、と部屋で待つが……という話。
『死神と医者』は三月のある晩、脾臓と胆嚢手術の世界的な権威モルビドゥス博士のところへ、名も知れぬ閣下の危篤の報が舞い込み、閣下のご用命と聞いた博士は迎えの馬車に急いで乗り込むが、その閣下とは死神のことであった。
全身を死病におかされた死神を前に、モルビドゥス博士は葛藤する。医者としては患者の命を救うのが当然である。しかし、ここで死神を死なせれば、自分は死をこの世の中から根絶せしめた英雄として、人類の恩人となり、ありとあらゆる賞賛を受けることになろう(博士は俗物なのである)。
博士は意を決して死神の体にメスを二度入れ、意図的に死に至らしめるが……。
どちらの作品も結末に皮肉を利かせており、短編の名手との評価も頷ける。

モルナール・フェレンツ『三つのはなし』『チョーカイさん』『或る小さな物語』『元帥』

モルナール・フェレンツもユダヤ系の作家で、都会派とされるが、ヘルタイ・イェネーよりも徹底して都会的。冗談か真面目か、嘘か真実かよくわかなないようなメタ・フィクションな仕掛けの作品が多い。フリッツ・ラングの『リリオム』の原作で知られており、ビリー・ワイルダーに影響を与えたりもしているらしい。
この短編集の中で最も収録点数が多いが、内容的にも最も印象に残る作家で、かつては森鴎外も翻訳したりして国際的にも有名な作家だったが、現在の日本では著作も点数が少なく、入手しづらいようだ。
『三つのはなし』からして、何とも人を食ったような作品である。
一つ目の話は、賭博者の話。語り手の友人に、もう故人だが、ある天才的な芸術家がいた。彼は賭博の才があり、一旦、運を掴むと離さない男だった。ある日、その友人が胃の調子が悪いので、ウィーンの教授を訪ねた。どうも胃だけではなく相当たちの悪い病気らしく、次に神経科の医者にかかる。そこで、ピンの尖った先と丸い頭とが背中に触れる検査を受ける。患者はそのどちらが当たっているかをいい当てるのだが、芸術家の友人は、十度の検査を全てパスする。語り手は、友人が健康だと安心するが、友人は「ぼくの体はだいぶ悪いらしい」と悲しげに微笑む。実は、背中の感覚は既になく、丁半勝負で全てをいい当てていたのだった。
二つ目は、歌手の話。語り手の友人に、もう故人だが、ある裕福なオペラ歌手がいた。伯父はさらに大金持ちで、二頭のすばらしいロシア馬と、立派な黒塗り箱形の四輪馬車を彼にプレゼントし、歌手の友人は自慢げにそれを乗り回し、夜の出し物しか役がない日は、楽屋入り前に一時間程の遠乗りに出ていた。
ある日も、いつものように遠乗りに出掛けたところ、雲行きが怪しくなって来たので、急いで引き返すように歌手は御者に指示した。猛スピードで馬車が進み出し、歌手もクッションに腰を下ろそうとした時のこと、突然、馬車の床が抜けてしまう。馬車は床をそこに残したまま走りつづけ、歌手は馬車の下敷きにならないように夢中で駆けまくった。馬車は閉め切っているので助けも呼べない。劇場の楽屋口まで二キロの間、歌手は死に物狂いで走り、なんとか無事楽屋口まで辿り着く。歌手は息も絶え絶え、服もぼろぼろにやぶれ、泥まみれの姿で馬車から現れる。
ここで語り手がいう。

 さて私は、この話から、何かもっともらしい教訓を引き出そうなどと考えているわけではない。ただ、なぜ私がこの出来事を当時の日記に書きとめておいたのか、そのわけを説明しておきたいだけだ。つまり、私はこう考えたのだ。――この小さな事件は、昔からよく知られている事実、すなわち、ひとにうらやましがられ、誰からも幸せだと思われている人物のうちには、往々、実はいささかもうらやまれるに値しない不幸な人間がいるものだという事実を、まさにみごとに証明してみせたわけだ、と。
 だが、もし私が小説のなかで、次のような文章を書いたとしたらどうだろう。
「誰ひとりとして、あの幸せなX伯爵をうらやまぬ者はなかった。しかし、伯爵は内心たいへん不幸なのであった。ちょうどそれは、立派な自家用馬車を持ちながら、その馬車の床がぬけてしまったため、何キロも自分の足で走らねばならなかった人物のようなものだった」
 私にしても、ほかの誰にしても、もしこんな文章を小説のなかでつかったら、読者はかならずこう言ったにちがいない。
「まったく、なんというばかげた、無理な、へまなたとえなんだろう」
P104-105

そして最後が名案の話。上の言葉の後、語り手はぬけぬけとこういう。

 もし、百科事典の編集者が「名案」という項目のところで、言葉の説明のあとに載せるうまい実例が見つからないでこまっていたら、私はさっそく次の話を推薦しようと思う。
P105

ひとりの若い新聞記者が、地方の町のめずらしい刑事事件に取材に行くために乗った汽車で、有名な老弁護士と知り合いになる。その弁護士も同じ事件の裁判に立ち会うのだ。
老弁護士は、かつてあった事件、難しい裁判で自分が口先一つで見事に無罪を勝ち取った話などを記者にする。そこで記者は、最も名案だと思った事件の弁論は、と訊ね、老弁護士はある話を始める。
それは、銀行の若い出納係が、女のために銀行の金を一万フォリント使い込んだ話だった。使い込みがばれると恐れる出納係に、老弁護士は、一万フォリントをすぐ弁償するために金をあらゆる方面から工面しなさい、と助言するが、出納係は一家の大黒柱で、金持ちの親類などひとりもいない。そこで、老弁護士は出納係に、ならば銀行からもう一万フォリントくすねて来なさい、という。出納係はその通りにし、その一万フォリントを持って、老弁護士は銀行の頭取のところへ行く。老弁護士は、頭取に、おたくの出納係が二万フォリントを横領したが、家族の者が家財を処分し、あちらこちらから借金をし、何とか一万フォリントを用意した。この一万フォリントで、あの出納係を許してやって欲しい、もし許さないのならばこの一万フォリントは戻らないし、銀行は二万フォリントの損をまるまる蒙ることになる、と。
かくて見事若者を救った老弁護士はこう続ける。

 だが、老弁護士は、この話を次の言葉で結んだのだった。
「実を言いますとね、この話はひとつだけまずい点があるのですよ。それは、この話がほんとうにおこった話ではなかったということなのです。このところ、わたしは不眠症になやまされておりましてね。毎晩、時間つぶしに、こういうふうな難問を自分で作っては解いてみるのですよ」
P109

三つの段階を踏みながら、虚構性を顕在化させて行く手つきが憎いくらいに巧い。
『チョーカイさん』は、ある不精な夫と、堅実家の妻の話。
妻が夫にものを頼んだりする際、夫がものぐさそうにして良い返事をしないと、妻はチョーカイさんを引き合いに出して夫を遠回しに詰る。といってもチョーカイさんは架空の人物で、チョーカイさんは夫のやってくれないことを全てやってくれるひとなのである。つまり、夫が駄目ならば駄目な分、完璧な男として現れる。そして実体を持たない以上、欠点は有り得ない。
初めは夫婦間のガス抜きとして作用していたチョーカイさんはやがて、夫婦間の諍いの種になる。夫がチョーカイさんに嫉妬するようになり、妻はチョーカイさんが実在するものと半ば信じ込むようになる。
こうなるともう結末は明らかで、妻がチョーカイさんと逢い引きする現場を夫は押さえ、夫婦は離婚してしまう。この落ちの部分のせいでウェルメイドなアネクドートといった印象もあるが、虚構が現実を食ってしまう、というモルナールの特徴はやはり際立っている。
『或る小さな物語』は一転して、三人の子どもたちのシリアスな話。
少女と少年二人とで、木登りをしている。少女は男の子顔負けの元気の良さで、大きな桑の木のてっぺんまで登り、少年たちを見下ろす。少女は、少年たちからキスをせがまれて、そうしたのだったが、降りて来るよう懇願する少年たちに、先に登って来たほうにキスをしてあげると挑発する。ふたりの少年は、心のときめきを覚えながら、一斉に木によじ登る。だが、お互い木登りが得意ではないので、ひとりが木の枝を掴み損ねて落下してしまう。落ちた少年の母親が出て来て、少年を別荘に連れて帰り、桑の木の下には少女と少年とが残される。残された方の少年は、少女が落ちた少年に同情心を起こしていることに嫉妬し、少女は愛の告白とともに残された少年にキスを与えながら、落ちた少年への同情心を隠そうともせず、少年は嫉妬心を募らせキスを何度もし、少女は同情心を表明しながらキスを何度も返す。
少年と少女が名付けようのない感情を持て余す様が痛々しいくらいだが、巧みな語り口のお陰で、読後感は不思議と悪くない。
『元帥』は一幕物の戯曲で、モルナールの真骨頂ともいうべき部分が良く出ている傑作。タイトルの「元帥」は猟銃の名前。
ウィーンの宮廷に仕えていたサン・フリアーノ男爵は、若く美しい妻エディットと共に、ハンガリーの山奥の館で隠居生活をしている。
舞台はサン・フリアーノ男爵が催す猟の前日。
招待客のひとり、俳優のリトヴァイは、出演予定の芝居をすっぽかしてまで、急行を使って前日の夜に一足早く到着し、男爵不在の間にエディットを口説く。
六十歳になる男爵は由緒正しいイタリア人の血筋で、三代のローマ法王に仕えてそれより長生きした枢機卿を祖先に持ち、自身はオーストリア人の血が入っているから百までしか生きられまいといい(つまりあと四十年は生きるのである)、暴飲暴食で早死にするハンガリー人を気の毒がる極めて貴族的な人物で、芝居に夢中になっている妻が無意識に俳優に心を動かされているのを見抜いており、遊びで愛人を持つのは構わないが、俳優の真摯さにほだされて自分の元から去るのを恐れている。
しかし、今の時代に間男をルネッサンス流に処刑するのは無理なので(間男の心臓を抉りとって妻にご馳走するとか、粉々に砕いたダイヤモンドを料理に混ぜて間男に食べさせてじわじわ殺したりとか)自身が主催する猟で、どさくさに紛れて俳優を撃ち殺してしまうつもりだったのだ。
この時に用いられる予定の猟銃が英国製のホランド・エンド・ホランドで、猟に出る度に昇進を重ね、一兵卒から元帥に上り詰めた名銃である。男爵はエディットに不吉な予告をした後に、リトヴァイにこの元帥と大佐とを見せる。男爵が元帥について説明している最中、突如として元帥がリトヴァイに向けられて発砲される。
ここから、リトヴァイの一世一代の演技が始まる。弾丸はリトヴァイに命中したのか外れたのか、元帥の発砲は偶然だったのか故意だったのか、エディットが本当に愛するのは男爵なのかリトヴァイなのか、この舞台を演じる俳優はさぞかしやりがいのあることだろう。

バラージュ・ベーラ『青ひげ公の城』

バラージュ・ベーラはバルトークの歌劇『青ひげ公の城』の台本で知られるが、ルカーチと共に芸術運動に参加したり、1919年のハンガリー共産政権に参加後、亡命してオーストリア、ドイツ、ソ連を遍歴し、第二次大戦後には帰国してハンガリー映画界の指導者となった。
モルナール・フェレンツもそうだったが、『中国の不思議な役人』のレンジェル・メニヘールト(収録されていないかと期待していたが本書には未収録)が『ニノチカ』や『生きるべきか死ぬべきか』の原作をしていたり、この世代には映画と深いかかわりを持つ作家が多い(バラージュに関しては映画理論家としてのほうが有名かもしれない)。
『青ひげ公の城』は、当初はコダーイのために書かれたものだそうで、メーテルリンクが台本を書いたデュカスのオペラ『アリアーヌと青髭』の影響下にある。
親兄弟許嫁を捨てて青ひげ公の城にやって来たユディットは、青ひげの立ち会いの元に、青ひげの城にある七つの黒い扉を次々開けるよう、青ひげに求める。青ひげは諌めるが、ユディットは愛ゆえにそれを要求し、青ひげは鍵を渡し、ユディットは扉を開け、青ひげのかつての妻たちに出会い、ユディットもその中へと加わる。
扉毎に色が指定されていて、これにバルトークはそれぞれに異なる調と和声を当てており、スクリャービンの『交響曲第五番プロメテウス』で用いられる予定だったとされる色光ピアノにも通じるが(ポール・グリフィスによるとシェーンベルクの『幸福の手』もそうだったようだ)、これがバルトークのアイディアだったのか、バラージュが最初から構想していたのかよくわからない。
バラージュはコダーイバルトークが採集していたバラッドや抒情詩から影響を受けており、この作品は古いバラッドを模倣して八音節の詩句で書かれているそうだ。バラージュは「わたしはセーケイ人の民俗バラッドの劇的《流動性》を舞台用に拡大したいと思った。そして現代人の魂を民謡の原色で描きたかったのだ(ポール・グリフィス『バルトーク』和田旦訳泰流社P95)」と語っていて、バルトークと同じ問題意識を持っていたといえる。

青ひげ公の城―ハンガリー短編集

青ひげ公の城―ハンガリー短編集