アベ・プレヴォ『マノン・レスコー』

『金の仔牛』と時代背景が重なるということで再読。
初めて読んだ時は、岩波文庫の表紙の作品紹介でマノンはカナダに追放されるとあり、そこは本文ではヌーヴェ・ロルレアン(どこ?)と表記されているので、ほうかほうかカナダか、あそこは元はフランス領だったからのう、と独りで納得し、マノンが息絶えるシーンも荒涼としたカナダの大草原を思い浮かべたのだが、追放の地はフランス領ルイジアナ、つまりヌーヴェ・ロルレアンはニュー・オーリンズなのであった。
初読時の印象としては、ただただデ・グリューの胡散臭さが残り、マノンをひたすら可哀想に思った記憶がある。

 シュヴァリエ・デ・グリューは既に一時間以上も語りつづけたので、私は少しばかり休んで、夕飯を共にしてくれるよう頼んだ。私たちのこの申し出は彼に、私たちが喜んで彼の物語を傾聴したことを肯かせた。そしてこれからさきの物語は更にいっそう面白く思われるだろうと彼は請け合った。
河盛好蔵訳『マノン・レスコー岩波文庫P126-127

読者の興味を引くためのお約束の言葉だろうとはいえ、こういう話を至る所でやって小金を稼いでるんじゃないか、と意地の悪い感想を抱いたものだが、そういうお約束は措いても、デ・グリューの性格を考えれば、別におかしくはない台詞なのである。デ・グリューは兎に角、弁が立つ。大抵の相手は言い包められてしまうのだ。
デ・グリューが収監されたサン・ラザールの院長に対してはこんな塩梅。

 私は手短かにマノンに対する永い根強い自分の情熱や、手飼いの召使いたちによって無一文にされるまでの私たちの華やかな生活や、G…M…が私の情人に対する申し出や、彼等の契約の結果と、それを破った方法などに至るまで物語った。実際のところ私は、これらのことを自分たちにいちばん都合のいい方面から話して見せたのだった。
P93

その甲斐あって、院長はすっかりデ・グリューを信用するようになる。
では一方で、正直になったデ・グリューを見てみよう。

 結局、私の行動には大体において、全然顔向けのできないようなことは、少なくとも或る社会の若者たちに比べて、なかったし、それに恋女を持っているということも、賭博で財産を引き寄せる技術を多少知っているということともに、我々のいる世紀では不名誉でもなんでもないのだから、私は正直に、今までの生活をくわしく父に語った。一つの失敗を告白する毎に、私は少しでも恥を少なくしようとして、名高い例を引いてくるのを忘れなかった。
 「僕は正式の婚礼こそしませんが一人の女といっしょに暮らしているのです。あの……公爵ですね。あの人は公然とパリに二人の女を囲っていますし、なんとかいう貴族などは、十年来一人の情人があるのですが、奥さんにも決して示したことのない誠意をもってその人を愛しています。フランスの紳士の三分の二はそんなことをして名誉に心得ています。僕は骨牌でちょっとわるいことをやりました。けれど、あの……侯爵と……伯爵はそんなことのほかに収入なんてないといわれますし、皇族の……と、公爵の……とは同族賭博団の首領です。」
P183-184

いや、すごい減らず口です。
デ・グリューは名家の出身で、アミアンで哲学を修めており、十七歳でマノンに出会うまでは、本人の弁によると皆から僧になることを勧められる程の善良な気質を持った優等生だったそうである。
マノンとの出会いが全てを変えた、というのだが、優秀であったのは確かにせよ(いかさま賭博で財を成し、脱獄を成功させ、アメリカまで行って決闘に二度勝ち、身一つで帰って来ることから、基本的なスペックは相当高いといえる)、そもそも本当に優等生だったのかと疑わしくなるほどに、彼は立派な無頼漢である。
マノンと運命的な出会いの後、一旦は仲を引き裂かれるものの、マノンと再会してからのデ・グリューはなかなかに凄まじい。
田舎に構えていた家と家財道具一式を不幸な火事で失ったデ・グリューは、いかさま専門の博徒になることにし、マノンのやくざな兄レスコー君の勧めに従い、いかさまの手法を教えてくれる賭博師結社に入ろうとするが、そのためには入会金が必要で、ここで折よく親友のチベルジュの存在を思い出して呼びつけると、デ・グリューが立ち直るにはマノンと縁を切ることが必要だと助言するチベルジュの提案を撥ね付け、まず立ち直るためにも「私の欲しいのは彼の財布なのだとは思い切って言えなかった」とデ・グリューが逡巡していると、チベルジュもそれと察し、手形を振り出してやる。
それを元手に、デ・グリューは無事賭博団に入会して、いかさま賭博師として成功するのだが、それで築いた財産も侍者と小間使いの裏切りで根こそぎ持ち去られると、またもや無一文となり、そこでレスコー君が勝手にマノンに紳士相手の愛人契約を取り結んでくるので、一度はそれに渋々賛成したデ・グリューだったが、その不満たらたらな様子に心を痛めて翻意したマノンは、ならば件の紳士G…M…氏の贈り物だけ貰って逃げようというので、その通りにすると、マノンと揃ってお縄になる。
デ・グリューはサン・ラザールに収監されるが、そこへ様子を見に来たG…M…氏の口から、マノンが世にも恐ろしいオピタル・ジェネラルに入れられていることを知り、怒りに任せてその場でG…M…氏を投げ飛ばし、脱獄を決意する。
早速デ・グリューは、親友チベルジュをまたも利用してレスコー君にわたりをつけ、面会に来たレスコー君に短銃を持ってくるよう指示し、例のすっかり信用したサン・ラザールの院長をその短銃で脅しつけ、門まで案内させると、院長が助けを求めた小使を目の前で射殺し、こんな怖いことをいう。

「ご覧なさい。あなたのせいですよ、神父さん、と私はかなり威丈高になって私の案内者に言った。――だがこんなことでおしまいにはなりません。」と私は最後の扉のところまで院長を押しやって言いたした。
P106

そう、デ・グリューは何も悪くない。レスコー君が悪い。

「君が悪いんだよ、と私は言った。――どうして弾丸をこめてよこしたのだ。」
P106

レスコー君も本当に近衛兵だかわからない無頼の徒で、マノンに男が出来ると、そこへ仲間とともに飯を食いにたかりに行くというろくでなしである。マノンの兄というのも、デ・グリューがマノンの弟と偽ってG…M…氏に会ったのを考えると、事実であるのかわからない。
そんなレスコー君を顎で使う(しかもなんだか最後は懐いている)デ・グリューは若くして成功した暗黒街の顔役といった風格さえある(レスコー君はマノン救出を成功させた矢先に、以前恨みを買った男から「こんちきしょう、今夜は天使たちと同席の夕めしだ」という素敵な言葉と共に撃ち殺される)。
マノンをオピタル・ジェネラルから奪い去ってからはシャイヨーに居を構え、二十歳になれば母親の財産が転がり込んで来るからと、それまでの間は賭博で生計を立てながら慎ましく(?)暮らすが、マノン救出の時に世話になったT…氏の友人にG…M…氏の息子があり、息子は親父と違って善良だから、との言葉に不承不承食事の同席を許可すると、案の定G…M…氏の息子はマノンに惚れ、マノンに言い寄る。マノンはこれ幸いとG…M…氏への復讐のためにもG…M…の金をむしり取るべきだと主張し、謀を巡りらせてG…M…氏の息子に接近する。マノンが貧乏生活を厭うのを良く知るデ・グリューは、マノンの行動に疑心暗鬼を募らせ、裏切りを確信し、G…M…がマノンに与えた家具附きの屋敷でG…M…が留守の間にマノンの不実を詰っていると、そこに、G…M…のおびき出しに協力しているT…氏が手紙でこんな提案をして来る(しかしこのT…氏、デ・グリューとマノンとの強い絆に心酔して何くれとなく援助をしてくれるのだが、基本的に碌な人物ではない)。G…M…氏の息子を一晩の間拉致監禁し、その間にデ・グリューとマノンとでその屋敷で夕飯を食べて、ベッドで眠ればよろしい、それが最も愉快な復讐だという。
これにマノンが大乗り気になってしまい、実行に移すと、息子がいなくなったことを心配に思ったG…M…氏がやって来て、ベッドにデ・グリューとマノンが寝ているのを見て仰天する。

「ああ! 無念な。貴様はきっとわしの倅を殺したのだ。」
 この無礼な言葉は私を激怒させた。
「老いぼれの極悪人め! と私は威丈高になってどなり返した。――もし俺が貴様の一族の誰かをやっつけるなら、まず貴様からやり玉に挙げていたぞ。」
P172

全くどっちが被害者かわからない。
このように、マノンというファム・ファタルに振り回されるというよりは、冗談のように次から次へと襲い来る不幸にデ・グリューが腕っ節と奸計で不法行為も辞さず荒っぽく乗り切ろうとするせいで、かくしてますます事態が酷くなるのである。
この次々と不幸が襲い来るのがファム・ファタルファム・ファタルである所以だ、というならばデ・グリューはマノンに振り回されているといえるし、マノンがG…M…氏絡みで致命的なことを二度やらかすので、確かに破滅を呼び寄せてはいるのだが、全てがマノンのせいかというと、そうとはいいきれない。彼等を追いつめたのは、極めて月並みないい方だが、詰まるところは世間であろう。
デ・グリューが優等生だったという話も、本編で彼が様々な人間から信頼を勝ち取る様を見ると、マノンに会って変わったのではなく、作中に見られる通りのまま、学生時代を送っていたものと思われる。
さて、G…M…氏にベッドの中で見つかったふたりは、シャトレーの牢屋に入れられる。デ・グリューは父の尽力で釈放されたが、マノンは娼婦たちの一団とともにヌーヴェ・ロルレアンに送られる。この後を追ったデ・グリューにルノンクール侯爵が出会ったのが、冒頭で語られる場面である(『マノン・レスコー』は『貴人の手記』の中の枠物語の一つなのである)。
ヌーヴェ・ロルレアンに送られる彼女たちは現地で男どもに分配される運命にあるのだが、デ・グリューとマノンとは夫婦であると信じた船長の証言で、首長から所帯を持つことを許される。
漸く、貧しいながらも平穏無事で幸せな暮らしが手に入る。ふたりは幸せを完璧なものにするために、神の前で正式に誓いを立てようと首長に結婚式の同意を求めに行くのだが、マノンに横恋慕していた首長の甥のセヌレが、ふたりが正式に結婚をしていないのならば、自分がマノンの夫になる権利があるといい出し、首長も、それは正当な主張であるというので、セヌレにマノンを与えることに決める。
こうなるとデ・グリューとしては勿論黙ってはおらず、セヌレを決闘で二度倒すと(ちょっとやり過ぎじゃないかなあ)、マノンとともに街を出て南部の荒野を彷徨い、マノンはそこで事切れる。デ・グリューがマノンを看取る際の美しくも悲しい語りは、何度読んでも溜め息しか出ない。
しかもこの結末は、美徳と考えられる正式な結婚を決心したことで引き起こされるのだ。
デ・グリューは度々、世の中の欺瞞を指弾する。前述の父親に対する弁明もそうだが、確かに、ただデ・グリューは一人の女を愛しただけだし、マノンとの生活を守ろうとしただけなのだ。
チベルジュとの対話でも、美徳に対する不信感を表明し、美徳を守ることで得られる幸福にも、恋を守って得られる幸福にも、同じ不幸が付随するならば、自分は後者を選ぶ、という。ましてや宗教の美徳は幸福を約束できないが、恋は必ず幸福を約束する、というのである。
こういった議論や、めくるめく不幸の連続と、最後に放縦から美徳へ回帰することで却って破滅する構成から、サドの『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』を思い出したが、そもそもは、『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』は、『マノン・レスコー』を下敷きにして書かれており、途中でこんなパロディも挟み込まれる。

 ここで、ロルサンジュ夫人はせめてわずかなりともテレーズにひと息つかせようと思った。テレーズにはそれが必要だった。話を語るときの心の高ぶりや、悲痛な話がまた心の中にぽっかり開ける傷口のせいで、彼女はどうしてもしばらく話を中断しないわけにはいかなかった。コルヴィル氏が冷たい飲み物を持って来させた。すると、この物語の女主人公はほんの少し休息を取ったあと、これから読者がごらんになるように、痛ましい出来事を詳しくまた語りつづけるのだった。
植田祐次訳『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』岩波文庫P334-335

サドはアベ・プレヴォの熱烈な信奉者で、『恋の罪』の序文での草稿で「プレヴォが現れ、あえて言うなら真の小説のジャンルを創造した。(植田祐次訳『恋の罪岩波文庫P431-432)」と賛辞を捧げ、『エルネスティナ』ではプレヴォの短編への言及が見られる。『マノン・レスコー』については「とりわけ『マノン・レスコー』は、同情を誘う恐ろしい場面にみちていて、それがどうしようもなくわれわれを感動させ、引きつける(植田祐次訳『恋の罪岩波文庫P431)」と書いている。
1780年代にはプレヴォは暗黒小説の先駆者として再評価され、『マノン・レスコー』がフランスにおけるゴシック小説の源流と目されるようになった時期に、サドは作家としての本格的な活動を始めたという。
シュヴァリエ・デ・グリューとマノン・レスコーの物語』という原題が示すように、マノンの物語であるというより、なによりもまずデ・グリューの物語だといえるだろうし、サドはデ・グリューの物語として認識していたのではないだろうか、とも思う。
マノン・レスコー』がサドに先行する作品であるとすれば、『マノン・レスコー』に先行する作品として、『ドン・キホーテ』が考えられないだろうか。
正式な騎士ではなく、父から受けた十字章を佩用してシュヴァリエと名乗るデ・グリューが、姫ではなく娼婦であるマノンを周囲の無理解から命がけで守る姿は、ひょっとして騎士道物語のパロディ的変種としての狙いがあったのでないかな。

マノン・レスコー (岩波文庫)

マノン・レスコー (岩波文庫)

短篇集 恋の罪 (岩波文庫)

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