「事実」はいかに書かれるべきか

ケースワーカーと呼ばれる人々 ニッポン貧困最前線 (文春文庫)

ケースワーカーと呼ばれる人々 ニッポン貧困最前線 (文春文庫)

ケースワーカーという、戦後の生活保護行政の現場を支えて来たひとたちを主人公に据えたルポルタージュ
大層面白い本ではある。その理由のひとつとして、小説形式の採用が挙げられるだろう。ケースワーカーを主人公に据えた三人称形式で、ケースワークの現場や事件の再現を行っている。取材者である久田恵はプロローグと第四部の終盤、それとあとがきにしか登場しない。著者は作中では一貫して黒子として、取材対象の発言を元に構成した小説の語り手として姿を隠している。

 平成四年十一月の月曜日の朝である。
 午前八時三十分、東京都内のK福祉事務所の出勤してきたケースワーカーの川口等は、ひと息つく間もなく事務机に向かうと、手早く新規ケース(受給世帯)の書類に目を通して電卓を叩き始めた。
 いつもは、仕事開始の八時四十五分までは、頭の中を切り替えるために机に向かって一人、沈思黙考する。これは、仕事に没入するためのいわば儀式みたいなものなのだが、この日ばかりはその余裕もなかった。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P22

これは著者が取材した事柄を小説形式で再現しているものと思われるが、どう考えても著者が立ち会ったとは思えない取材対象の回想話でも、こういう案配である。

 昭和六十二年一月二十三日。
 その日、札幌民政局社会部保護指導課長の枝元政肇が、福祉事務所の面接員研修で挨拶をすませて、札幌市役所の三階にある保護指導課の事務所に戻って来たのは、午前十時頃だったろうか。
 外は、この時季には珍しく朝方ちらついていた雪が冷たいみぞれに変わり、どうにもすっきりしない空模様だったが、暖房のきいた事務所内はいつものように明るい光に溢れていた。上着を脱いでワイシャツ姿で机に向かう職員も多く、いつものことながら静けさの中にもおっとりとしてくつろいだ雰囲気が漂っていた。
 その事務所にほっとする思いで一歩入ったとたんだった。
 静寂を破るように電話が鳴った、と枝元は記憶している。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P108

自分が居合わせた訳ではない事柄なのだから、もっと禁欲的に描写して欲しいものの、こうした風に小説形式で書いはいけないことはない、とは思う。コンビニに置いてあるペーパーバックの実録漫画の類いはいい時間つぶしにはなる。
ただ、例えば、完全にフィクションである場合に、こういう題材を扱うことのハードルの高さを考えると(行政官の立場から見た生活保護行政のあり方を、小説で描くとなると、途轍もなく屈折した語りが引き出せるだろう。体制と、貧困の現場の狭間という、社会の矛盾点が集約する場所は、近代以降に登場した巨大な官僚システムの中では、個人をより孤立へと追い込むに違いない。そしてそうして書かれた作品というものも存在する。いずれ記事にしたい)、問題提起や事件の真相を謳うノンフィクションでこの形式を選択したことの安直さは否めない。ここでの小説という形式は、読み手に行政官の立場を自己同一化させる為だけに利用されている。そしてそれはある一定の効果をあげているし、成功もしていると思う。

何で体制側かって、行政のケースワーカーと一緒に行動して、彼の行くところに一緒に行くという取材スタイル。「受給適正化」を作家の前でやると思うか?これはビルマに行って現地の軍事政権が用意した「視察」ツアーに参加し、「少数民族は人道的に取り扱われており、道路工事等にも自主的に参加している」とのたまった首藤信彦衆議院議員クラスの愚かな振る舞いである。
こうして教育がなく・怠惰な「下層市民」と向き合い、彼らのために奮闘する行政官たちの姿を描く感動できるお話になっている。現実問題として「適正化」が起きてるのに、それには触れずにケースワーカーたちはまるで講談社のお仕事系漫画の主人公みたく苦悩したりする。マスコミには叩かれ、政府のお偉方は何もわかっちゃいない…ね、これで適当な漫画家つれてくればモーニングとかその辺に乗っていても不思議じゃないでしょ。
http://d.hatena.ne.jp/Tez/20060627/p1

Tezさんがあまりに的確に作品の本質を言い当てているので、屋上屋を重ねるようではあるが、この作品の面白さは、まさにお仕事系漫画の面白さであり、その面白さがいかに危ういものであるか考えさせられるのである。
久田恵の『ニッポン貧困最前線』は四部構成で、取材を元に小説形式に構成し直しているのは主に第一部から第三部。第一部は東京の福祉事務所で、アルコール中毒者や独居老人、ホームレスといったひとたちを相手に、様々なワーカーたちがうんざりするような現実を前に奮闘するもので、最もお仕事系漫画っぽい。第三部では炭鉱住宅だった筑豊を舞台に、適正化や不正受給、特に貧困層暴力団員の関係などが描かれている。どちらも面白く、勉強になる。
で、第二部が非常に問題なのだ。札幌で母子家庭の母親が幼い子ども三人を残して餓死した事件に取材している。マスコミは福祉の問題だと騒ぐが、実は故人の元雇い主の喫茶店オーナーが諸悪の根源。なにせ弟が暴力団員の上、覚醒剤所持で捕まってもいる。その弟は故人とは法律婚事実婚もしてなかったが、深い仲にあり扶養義務があった。だから行政は何も悪くないし、マスコミはこうした事実を報道していない。
第一部ではあんなに扶養義務の厳格な適用である、申請者の親族や別れた夫への「扶養照会」が無意味なばかりか生活保護のハードルを上げていると嘆いてみせ、第三部では適正化の大作戦も行政官の立場からではあるがきちんと描いているのだが、第二部では徹底して関係者のプライバシーを暴き立てることに筆を揮い、適正化の問題も天下りキャリアの前任者の話題として少し触れる程度なのだ。そもそもこの第二部には受給者に体当たりで接する熱血ワーカーも登場せず、札幌市民生局社会部保護指導課の課長が上述の引用のように、深い共感を持って描かれているのみである。
その一方で、第二部でターゲットにされている餓死した母親の元雇い主は、初登場からこのように描写される。

 実は枝元が餓死事件を知る三十分ほど前のことだった。
 札幌市白石区の福祉事務所に中野照子と名乗る中年の女性が、大柄で恰幅のよい二人の男を伴ってやってきたという。
 照子は市内で小さな喫茶店を経営している女性で、男は彼女と同棲中の警備会社の社長とその会社の専務だった。
 彼らはこの時、福祉事務所の面接員を直接呼び出したが、面接員は彼らの側に行く途中、同僚に声をかけられ、仕事についての質問を受けたせいでいくぶん手間取っていた。
 と、カウンターの前の男がいきなり怒鳴りだした。
「なぜ、すぐ出てこないかっ、さっさと出てこい」
『ニッポン貧困最前線』文庫版P110

 抗議は二十分ほど続いた。
 そして、彼らは最後に「このまま許すわけにはいかないからな」と捨て台詞を吐くと、ようやく引きあげていった。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P111

これは良からぬヤカラだなと思わせるに十分である。捨て台詞まで吐くとは、まるで吉本新喜劇に出てくる小悪党ですな。
ところで、久田先生はこの時どちらにおられたのですか。
取材を元に、小説という形式によって事実を再現する、というおそらくはリーダビリティの要請によって選択された本書のこの方法が、行政官の目を通した事件を、まるで事実のように再現するという形になってしまっている。
本書が主張する事件の真相はそれはそれとして尊重はしたいが、これらは読者に予断を抱かせる小説技術の悪用ではないだろうか?
それとは別に、ずっこけたのがここ。

 月刊文芸春秋の平成四年八月号に「母さんが死んだの嘘」(久田恵、中川一徳共同執筆)と題する記事が発表された。そこには、亡くなった母親とかかわりがあったと噂されていた中野武が、札幌地方裁判所に提出した上申書が掲載されていた。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P193~194

 これで事件の謎がすべて解明されたとうわけではなかったが、五年前の枝元の胸のつかえが少しばかりとれた気がした。その一方で、事実が隠されたままこの事件にふりまわされてきた日々はなんだったのか、との悲哀が胸を満たし、枝元政肇は、この日しみじみと吐息を吐いて雑誌を閉じたのだった。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P195

あらこんなところでお会い出来たのですね、先生!
別にこれメタフィクションじゃございませんのことよ奥様。ノンフィクションだっせ。
というわけで、この本は随分バランスが悪い。書かれた内容だけで見ても、他の部分と整合性が取れていない第二部さえなければ……と思うものの、書き方を考えれば、第一部や第三部だって基本的には同じ問題を孕んでいるのではないか、という気もして来る。小説は真実を語るには不向きなものなのだ。剰え、自分の主張を補強する為に私人を悪し様に描き出す必要があるのだろうか。
成る程、筒井康隆笙野頼子が現実の論争相手を俎上に、論争を小説で展開する場合にも論敵を誇張して描いたり、風刺の筆を容赦なく揮うことはある(そして論争相手も勿論プロである)。だが、彼らはそれが飽くまでフィクションであることに自覚的だし、その批評的な眼差しが必要と認めれば、自らを切り刻むことも躊躇わない。それから、これが最も大事なことだと思うが、彼らの論争小説では「勝つ」ことは目的とはされていない(と思う)。筒井康隆笙野頼子は、論争がきっかけであったとしても、一旦小説として書き始めると、作品が要請する目的へと導くことに専念している(と、また思う)。
フィクションとノンフィクションの違いだといってしまえばそれで終わりであるが、久田恵はフィクションだかノンフィクションだかよくわからないものを書いてしまっているのである。そして、フィクションだかノンフィクションだかよくわからないものは、現在我々の周りにうんざりするほど氾濫している。コンビニに置いている実録漫画はその最たるものだし、『ゴーマニズム宣言』が脚色たっぷりに政治主張し始め、それが亜流を生み出し、海外のショッキングな事件を扇情的にドラマで再現するテレビ番組は毎週、複数の局で放送されている。だから、この本だけに目くじらを立てることはないのかもしれない。内容は兎も角、書き方はその程度のものです。
と、話はここで終わらない。
なにはともあれ、久田恵が主張する事件の真相があり、久田恵に「嘘」とまで書かれ槍玉に挙げられている水島宏明の『母さんが死んだ』が一方にあるわけである。

『母さんが死んだ』は社会思想社の倒産で絶版であるが、古書で入手が比較的容易なので助かった。どこかの出版社が出し直さないものだろうか。良書であると思うし、『ニッポン貧困最前線』を読んだことのある方は是非読み比べて欲しい。
まず、『ニッポン貧困最前線』の第二部は、やはりというか、事件直後からの札幌市の主張を補強する形で書かれている。事件から五日後の札幌市議会の厚生委員会で、菜原睦人福祉事務所長はこう答えている。

「亡くなった母親が福祉事務所を訪れたときは、子どもの登校拒否など、生活をどうしたらようかという一般的な生活相談ということで、また相談に来たときは元気そうで、差し迫った困窮の実態はないものと判断されました。したがって……むしろA子さんの個人的な事情で亡くなったものと思われます」
『母さんが死んだ』文庫版P156

その「個人的な事情」を、久田恵はわざわざ書き、札幌市当局は『文藝春秋』の原稿コピーを各区役所福祉部にファックスで流し、「「ずっと言えなかったことをようやく書いてくれた……」と部下の前ではしゃぐ幹部もいた『母さんが死んだ』文庫版P374」そうな。
水島宏明と久田恵とで最も鋭く対立するのは、母親が餓死する五年前の昭和五十六年に打ち切られた生活保護の要否判定だ。『母さんが死んだ』では、この時、母親は月に八万円ほど不足する状態で辞退を強制され、足りない部分をサラ金から借りるうちに、生活が破綻して行ったという。
これが久田恵によると、生活基盤は安定していたからこそ自主的に辞退していたのであり、その後生活が破綻したのは暴力団員の男に貢いでいたからだ、ということになる。
両者の主張の違いは具体的な数字にも及ぶ。水島宏明が提示する当時の母親の病院勤務の収入が月七万六千円であるのに対して、久田恵は九万円、児童扶養手当が三万八千二百円(水島)であるのに対して四万五千円(久田)、冬の燃料手当が十万二千九百六十円(水島)であるのに対して十四万円(久田)、唯一、一致するのがボーナスの二十二万八千円(水島)と二十三万円(久田)。これに関しては水島宏明の提示する資料に載っているボーナスが月収の三カ月分(30割)なので、水島宏明の提示する数字の方が整合性があるが、だからといって九万円ではない、ともいえない。他にも水島宏明のいう保護基準が生活扶助、母子加算、多子加算、冬季加算、住宅扶助、教育扶助、期末一時扶助を合算した生活保護需要額で、これが二十万七千十三円、控除を入れると二十三万八千七百三円。久田恵が出すのが国が決めた最低生活費で十七万四千八百二十三円。
なんでここまで数字が食い違うものなのかね。
どちらの主張が正しいのか、わたしにはわからない。判断する材料は正直なところ全くない。
久田恵によれば、「取材者としてなにかに向きあうたびに実感することだが、とりわけ深く対立する問題に関しては、両者の言い分の中間あたりがもっとも事実に近いだろうと、まずは見当をつけてかかるしかないことが少なくない『ニッポン貧困最前線』文庫版P310」そうで、わたしもそのひそみに倣い、水島宏明と久田恵の言い分の中間辺りがもっとも事実に近いだろうと見当をつけてみよう……って、これ、典型的な歴史修正主義の手口じゃございませんこと?
「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close To The Wall
久田恵は歴史修正主義者ではないし、書き方に問題はあれ、ちゃんと取材してはいるわけだけど、「両者の言い分の中間あたりがもっとも事実に近い」ことなんて滅多にないと思うけどなあ。取材するならなおさらそんな予断が無意味だと知っていそうですが。
『母さんが死んだ』文庫版のあとがきには水島宏明の久田恵への反論が載っており、年末の要否判定では特別控除が行われるのが普通で、久田恵の主張は特別控除や各種扶助を加えなかった札幌市の判定そのまま、ということらしい。
ここでの久田恵の書き方にちょっと注目してみる。

 テレビ報道や運動団体は、彼女が市営住宅に入居した時、福祉事務所が辞退届を強制して保護を切ったため、百合子が生活に困って借金を重ねるようになった、とさかんに言っていた。
 けれど、それはあまりに生活保護法の中味を知らない言い方だった。昭和五十七年一月、保護廃止当時の百合子の世帯の国で決められた最低生活費は月十七万四千八百二十円だった。
 一方、当時、病院の正職員になった百合子の収入の方は給与が月約九万円、冬の燃料手当が約十四万円、ボーナスが、給与の三ヶ月分で夏、冬各二十三万円ほどあった。
 それ以外に、月約四万五千円の児童扶養手当と月五千円の児童手当があった。子どもの教材費や給食費などが支給される就学援助も受けていた。減免措置で家賃が月二千九百四十円の低額になった。母子家庭等医療助成制度の適用も受けていた。さらに社会保険にも加入し、今後の昇給も見込まれていた。こういった全体の収入状況を考えれば、すでに百合子は自力で最低生活を維持できる状態に達していた。
 保護を廃止する時には、廃止した後の六カ月間の収入状態を計算して、保護の要否の判定をすることになっている。
 百合子の世帯は実質「五千四百円」ほどの不足となっていたが、保護廃止から十カ月後、冬季薪炭費として福祉事務所から七万六千九百十三円が一括支給されており、その頃には収入は最低生活費に達していた。
 そもそも月五千円のために、あれこれ生活指導を受けなければならない保護世帯でいるか、辞退して自由に暮らすか、支給される保護費が数千円になると、「扶助小額辞退」といって保護を辞退する人は少なくないのである。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P146~147

これが久田恵が独自に取材して得たものなのか、札幌民政局社会部保護指導課長が「あたかもミステリー小説の謎を解くような心境でP145」綴っている思いなのかは判然としないが、久田恵の主張と受けとっても間違いはなさそうである。
ところで、『母さんが死んだ』では以下のような記事が紹介される。

 123号通知の出た翌昭和五十七年四月六日、地元紙である『北海タイムス』にこんな記事が載った。
「これぞ“真の福祉"全市一、白石の生活保護率ダウン」という大見出しで、「まず幸せを第一に指導 区福祉事務所、安易に申請受けず」と小見出しがついている。
 リード(全文)にはこう書いてある。
「昨年四月には千分比で三一・四と、市内平均の一九・八を大きく上回る全市一の高率を記録していた白石区生活保護率が、ことし一月には二九・八までダウンした。指数が二十九台に下がったのは昨年七月からだが、同区福祉事務所ではこの理由について『別居中の夫と正式に離婚したいが、母子家庭の生活保護費はいくらもらえるかと相談を受けた場合、申請受理では本当の親切とはいえない。夫なり親なりに身の振り方を相談してみなさいと指導した結果による。離婚の手助けをするような安易なやり方は、真の福祉とはいえないのではないか』と、今後もこの姿勢をとっていくことにしている。景気の落ち込みで、生活保護が増える見通しにある中で、福祉の名のもとにこのところ緩みがちだった生活保護をあるべき姿に軌道修正し、真の意味で、“血の通った福祉”を目指そうとするものとして注目される」
 続いて本文――
白石区は市内七区中で、伝統的に保護率の高いところ。菊水地区の老朽住宅街、青葉町、もみじ台等の公営住宅街を抱えているため、低家賃住宅が多い。こうした家の入居には所得制限があるから、どうしても保護率は高くならざるを得ない。……昨年五月の総理府の統計によると札幌市の勤労者世帯の一ヶ月の消費支出は二十二万七百一円。……一方、生活保護を受けている母子世帯の場合、同時点で経済的に支給されるものの年間平均月額が母子三人世帯で十五万六十四円。……この例は小四、小二の児童がいるケースで、このほか給食費、教材費は実費支給されるし、住宅扶助が三万四千九百円加わる。そのうえNHKの聴取費や電気代、ガス代の税分も免除されるから勤労世帯の生活水準と決して引けをとらない。
 従って、所得税の非課税最低限を上回る手取り収入があっても、一銭も税を納めずに済む。たとえば、男女標準四人、両親と小三、四歳二人の子供の世帯は住宅扶助を含め、一カ月十九万八千五百四十二円の収入、年収にすると二百三十八万二千五百四円だ。これに対し、勤労所得だと課税最低限は二百一万五千円。これを超えると税率が八%の所得税。“酷税”を払っている者が、働くことなく保護を受けている者より低い生活をするようにできているのが、生活保護の制度。
 こんなことだから、いったん生活保護を受けると、十年、二十年も受け続けるケースが出やすい。全市の数字をみると、昨年七月現在、生活保護世帯の一六・一%が十年以上。……
 この子が保育園に預けられるようになるまで、せめて小学校低学年の間まで……と保護を受けているうちに、働く意欲を失い、体の不調、傷病を訴えて保護を受け続けることになる。福祉関係者のひとりはこう話してくれた。『それだけでなく、子供の教育に好ましくない影響を与えかねない。子供は親の背中を見て成長するものだから……』と、深い懸念もつけ加えた。
 同区福祉事務所では、今後も最終的に本人が幸せになれるかどうかを、本人に考え直してもらって、その選択にゆだねる方式をとる考えだ。何億円何十億円になるかもしれないが、結果として節税にもつながる。世はあげて、財政再建の時代。この意味からも大いに注目されるところだ」
『母さんが死んだ』文庫版P224~226

論調が瓜二つじゃないですかね、これって。
この記事は、餓死事件が起きる数年前に、適正化を押し進めた厚生省のキャリア出身の甚野弘至白石区福祉事務所所長が、北海タイムスに依頼して書いてもらったものなのだという。そして、母親が昭和五十六年に生活保護の辞退をしたのは、母子寮から、白石区にある市営アパートに転居し、所管が中央区福祉事務所から甚野弘至が所長を務める白石区福祉事務所に移った途端にである。
基本的に、『母さんが死んだ』で水島宏明が問題視しているのは、厚生省が暴力団員の生活保護不正受給事件をきっかけに昭和五十六年に出した「生活保護の適正実施の推進について」という、国の適正化の象徴といっていい123号通知が福祉現場に及ぼした影響である。それは、「相談制度」によって申請受理を阻止する水際作戦と、要否判定では保護受給が継続されるにもかかわらず、辞退届の提出を強いるという、今日でもしばしば報道される生活保護行政の問題点だ(ひょっとして水島宏明がそういった報道の嚆矢だろうか?)。申請者や受給者は法律上当然に保護される権利を奪われているわけである。
久田恵は、扶養義務や資産調査など、法律の厳格な適用がなされると本来保護されるべき受給者の利益が損なわれる場合が少なくない、とする。そこでケースワーカーにはある程度自由な裁量が与えられており、それによって複雑な現場に於いて、柔軟な対応が出来るという。それはそれで尤もな意見ではある。そこで久田恵の本ではパターナリスティックなケースワーカーの姿が「熱血」として肯定的に描き出されるのだが、その「裁量」が、123号通知によって場合によっては「相談制度」となり、正式の書式がない筈の「辞退届」の用紙をケースワーカーが持ち歩くに至る可能性はないのだろうか?
さて、マスコミから激しいバッシングを受けて疲弊していた枝元政肇をはじめとする職員たちは、取材に協力したこともあり、水島宏明が製作した「母さんが死んだ――生活保護の周辺」が自分たちを擁護する番組だと期待していたようだ。その期待が裏切られた枝元政肇の、いかにも胡散臭げなものとして見る番組への目付きがひどい。いちゃもんというか、揚げ足とりのような感想を交えつつ、「事実が歪められ、都合良く真実めかしてこんなふうに報道されていいはずがない『ニッポン貧困最前線』文庫版P170」と、番組そのものが捏造であるかのように主張する。久田恵の本ではデマとして切り捨てられるが、水島宏明も匂わせている札幌市当局の地元メディアにかけた圧力の効果が現れていなくて落胆でもしたのだろうか、と勘ぐりたくもなるが、こんな描写も久田恵の責任だと思うことにする。

 最後は餓死した百合子の次男の声が画面に流れて、視聴者の涙を誘った。
「かあさんは涙が嫌いだったったから僕は泣かなかった。かあさんは苦しみながら死んだ。嫌な気持だけ残して死んだ」
「ほんとうに、嫌な気持だけ残して……」
 枝元は思わず、そうつぶやきたくなった。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P171~172

実際のインタビューの文字起こしは以下である。鍵括弧が遺児(当時小学六年生)の言葉。

(お母さんは、どんな人だったのかなあ?)
「お母さんてね、やさしくて……よかったよ。……(衰弱して)寝てたときも、お母さんのほうが声かけてくれて、ぼくたちをなぐさめてくれた……。寂しがるんじゃないよ、とかいってくれて……。だから、寂しくない」
(君は強いんだね……)
「みんな強いていってる……。泣きたかったけどね……母さん、泣くの嫌いだから泣かないようにしようと思って我慢してた……」
(母さん、泣くの嫌いだったのか?)
「泣く人って嫌いだった……。いつも、泣くんじゃないよってなぐさめてくれた……」
(我慢強い人だったんだね。お腹すいていたときも我慢してたんだろうね……)
「我慢したと思う……。苦しそうだった……」
(今でも、ご飯食べながら、そんなこと思い出すことがあるかい?)
「たまに思う。……他の国とかで、ご飯、食べられない人たちのこと思う……」
(お母さん、死ぬかもしれないって思ってなかったの?)
「はい……」
(餓死って聞いて、どう思った?)
「別に……」
(おとなたちに対して思うことはないかい?)
「母さんのまわりにいた人は、やさしくしてくれていたから、いうことはないヨ……」
(お通夜とかお葬式とか……、どんなこと思ってた?)
「やな気持ちとかたくさんあったけど……我慢してました……泣きたいのをこらえて、ちゃんとお葬式に来た人とか見送ってました」
(やな気持ちって?)
「お母さんが寝てて、苦しんでいるときの気持ちとか……。やな気持ちだけ残して、死んでいったのかなって……苦しみながら死んで行ったような気がする」
(何を我慢してたのかな……?)
「…………」
『母さんが死んだ』文庫版P132~133

本人でさえ上手く整理出来ていない複雑な心情から発した言葉を、薄っぺらく要約し(よくもここまで「嘘」っぽく出来るものだと感心する。枝元政肇の「真実めかしてこんなふうに報道されていいはずがない」という言葉と合わせるとこれがどれだけの効果があるかお分かり頂けるだろう)、行政の渦中の責任者のどうでもいい心情(行政官の彼にしてももっと複雑な感情を抱いていたに違いなかろうに)に重ねあわせるこの手つきは流石に反吐が出るといわざるを得ない。この本の全ての場所でこの類いの小説技法が同様の目的のために用いられているとは思わないが、本書の限界を示している箇所ではある。複雑な問題を、複雑なままに提示するというよりは、複雑な問題を単純に編集し、それを物語形式に乗せることで、「世の中って単純じゃないのよね」と単純に考えた気にさせるのである。
例えば、久田恵によって描写される枝元政肇は、札幌の福祉行政の現場を長く勤め上げた叩き上げの人物で、厚生省の123号通知にも粘り強く反対し、受給者のことを第一に考え、より良き福祉行政のことを真剣に考えているのだそうだ。それは事実なのだろう。第四部で紹介される、枝元政肇が久田恵に送った手紙からもそのことは窺える。
ではなぜ、そうした人物がいるにもかかわらず、このような事件が起きてしまうのか?

 一方枝元は、マスコミの取材に応じて、自分を特別な一部の良心的ワーカーという高みに位置づけて、「事件の責任は厚生省や市当局の現場への締め付けにある」などと自己防衛的な発言にいきどおっていた。なぜ自分たちの仲間を守らないのか。なにが起こるか分からないそういう現場に同じく身を置いている自分たちが、仲間を守らなくてどうするのだ。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P189

なにやら正論のように紹介される枝元政肇この言葉にしても、ただのお役人の組織防衛論でしかない気がするのはわたしだけだろうか。「事件の責任は厚生省や市当局の現場への締め付けにある」と告発するワーカーを自己防衛的といい、仲間を守れ、と憤っているのだが、この文脈では、「仲間」とは同じ現場のワーカーではなく厚生省や市当局であるとしか読み取れない。それに、当時の枝元政肇は札幌市の民生局社会部保護指導課の課長である。保護指導課長という、各福祉事務所の「お目付役」がこういう発言をしているのに、何の疑問もなく久田恵は、やはり無批判に自分の意見だか行政官の意見だかわからないままに垂れ流す。
久田先生は本当に、どちらにおいでなのですか。両者の言い分の中間あたり? いやいやご冗談を。

 どう見ても、「福祉事務所が殺した」と執拗に言い続け、しかもころころとその場、その場でいうことが変わる中野照子の証言に、一片の疑いも持たずに報道し続けるマスコミの姿勢には納得がいかなかった。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P145

「一片の疑いも持たずに報道し続けるマスコミ」というものがあったのかもしれないが、水島宏明の本では元雇い主の喫茶店オーナーの証言の矛盾点に対する疑問や、遺児の為のチャリティーの明るさに対する軽い違和感などが表明されており、少なくともこの批判は当たらない。久田恵はこの元雇い主の喫茶店オーナーの醜聞を書き立て、この人物がいかに信用出来ないかをもって、一点突破式で水島宏明の粉砕を試みているのだが(これもなんか歴史修正主義風味であるなあ)、別に水島宏明は元雇い主の喫茶店オーナーの証言のみによって事件を再構成しているわけではないのである。
むしろ、行政官の証言に全面的に依拠し、それを悲劇のヒーロー風の小説形式に仕立て上げ、一片の疑いも持たずにいるのは久田恵ではないのか。第二部では、そのあまりの徹底振りに、札幌市当局のこの事件に対する姿勢が図らずも浮かび上がって来ている、とさえいいたくなる。
とはいえ、第四部やあとがきで書かれている久田恵の執筆動機などを読むと、共感出来ることも書いてあるし、むしろ同意する点こそ多い。

 こんなふうに保護行政現場で起きた事件をたどっていくと、福祉事務所を加害者として断罪したり、ワーカーの「思いやりや優しさの欠如」といった倫理的な視点からどんなに批判をしても、解決できない複雑な問題がからみあっている様が、その背景から次々と浮かび上がってくる。
 むしろ多くの場合は、受給者との関係をどう作っていくか、というもっぱらケースワーク技術の問題であったり、その時代時代の人々の価値観と保護法の運用のルールとが折り合わずに起きたトラブルが、ついには悲劇的な事件にまで至ってしまったという事例が多く、複雑な心理や感情を持ったさまざまな人間を相手にする仕事の難しさを物語っている。
 こういった現場の複雑混沌とした状況の方は語られないまま、福祉現場の事件が福祉政策を告発する運動的な立場やイデオロギーによる戦略的な視線で、より偏ってより誇張して描かれたものが、マスコミを通じて広められることが多く、あたかも福祉事務所が恐ろしい場所であったり、ワーカーが非人間的であるかのようなイメージが作られがちだった。
 そんなこともあって、本書では、今まで書かれることのなかった福祉事務所のワーカーに照準を合わせて、その立場からの視線と体験を通して、戦後の保護行政を描こと試みてきた。しかし、そのことで、日本の貧困層の権利拡大のために闘ってきた人々の努力を、過小評価するつもりはない。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P318~319

水島宏明の『母さんが死んだ』でも、結局「思いやりや優しさ」が大事だ、と結論づけていて、どうも微温的で納得がいかないのは事実である。
しかし、これらの問題意識は、その糞みたいな書き方(ええ、もうはっきりいいます。糞です)のせいで、「複雑な心理や感情を持ったさまざまな人間を相手にする仕事の難しさ」も「現場の複雑混沌とした状況」も、お仕事系漫画以上のものは描けていない。久田恵の描く福祉の現場ではヒラから上つ方まで、表面上はシニカルであったりぶっきらぼうであったり露悪的であっても、心の底では理想を抱く熱血漢である。そうしたひとが組織の中で埋没してしまう陰翳すらない。そりゃあんまりだよ。
だが、『ニッポン貧困最前線』の文庫版解説によれば、この糞みたいな書き方こそが本作には相応しかったものであるらしい(執筆者は特に名は秘すが関川夏央というひとである)。

「正義」がわがもの顔に横行しがちであったこの種の分野での仕事では彼女は当初感じたとまどいをなかなか整理できず、だからこそ長い歳月を完成までに必要としたわけだが、この作品以降は取材用のテープレコーダーを捨て、「社会派」たることを断念したようである。つまり「正義」は相対化されざるを得ず、端的にいえば、なにごとも「いちがいにはいえない」という言葉につきる複雑な世界像と決定的な対面を果たしたということだろう。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P333

「取材用のテープレコーダーを捨て」た結果が陳腐な物語化なのだろう。「端的にいえば、なにごとも「いちがいにはいえない」という言葉につきる複雑な世界像」のなんと単純なことか。
関川夏央はこんなことも書いている。

 思えば戦後とはマスコミが猛威をふるった時代であった。一九七四年以降、つまり第一次オイルショック後の低成長期には「マスコミ的正義」は猖獗をきわめたとさえいえた。「公」の責任のみを云々する「告発」は楽で安全な方法であるが、それ自体で完結しがちであり、かつ自分だけは埒外に置きたがる。そして、革新的であることを標榜する大メディアほど易きについた。
『ニッポン貧困最前線』文庫版P330~331

「「公」の責任のみを云々する「告発」は楽で安全な方法」だったという時代がかつてあったとして(まじで?)、「それ自体で完結しがちであり、かつ自分だけは埒外に置きたが」っているのは『ニッポン貧困最前線』も、関川夏央のこの解説も例外ではないと思うのだが。