11月14日の日記

——こういうことは田中康夫の小説でならもっとうまくやってのけますね、とわたしは言った——
——あなたは田中康夫の小説を読んだことがおありでしたっけ? 相手は世にもいんぎんな、しかし、どうだ、参ったかといわぬばかりの顔付きでさっとわたしに鉾先を向けてきた。

というやり取りかあったかどうかは兎も角、田中康夫ブログを始めると決めたからには、田中康夫の面白いか面白くないか今一よくわからない小説を一揃い手に入れなくてはならないのだが、新古書店で100円で売っているのを漁るのもどうやら限界である。
目下探しているのは、『たまらなく、アーベイン』だ。アマゾンのマーケットプレイスで馬鹿みたいな値段がついているので、足を棒にして探さねばならない。
何でこんな苦労をしているのかというと、田中康夫の小説は全て絶版になっているからだ。『なんとなく、クリスタル』も含め、である。
色んな意味で20世紀後半の日本の重要な作家のひとりだとは思うのだが、国籍法を巡ってのくそたわけな言動をはじめ、政治家としても終わりつつある中、このまま小説家田中康夫は消え去るのだろうか。田中康夫全集なんか出るわけないし。よしんば、死後に出るとしても無駄に長生きしそうだし。総理大臣になりましたから記念に出します、とかじゃ悪夢だし。

そういわけで、今日は笙野頼子の『愛別外猫雑記』と佐藤亜紀の『ミノタウロス』を買った。いずれも文庫版。
ミノタウロス』は単行本発売と同時に購入しているが、岡和田晃id:Thorn)さんの解説が読みたかった。たっぷり20ページもあり、夢中で読んでしまう。うーん、すごい。
わたしにとって、佐藤亜紀の小説は文章が一々ごちそうなので全体の把握まで気が回らない。ヴィルトゥオーゾの妙技を前に、「上手いっすねえ……」とため息まじりに漏らすしかない外道な鑑賞者なのである。だから、このような優れた解説は本当に有り難い。
これを機に『ミノタウロス』を再読してみようと思う。いかに読めていないか、を常に意識しておけば、読み取らなければならなかったこと、が浮かび上がって来るかもしれない。優れた解説や発言を補助輪にすれば、多少はましになるだろうし。
と、つらつら考えていると、佐藤亜紀の文庫版の解説はレベルが高いものが多いのに気付く。文春文庫版の『戦争の法』も佐藤哲也が解説をしている。新潮文庫版で持っているがこれも買わなければなるまい。唯一の例外が『1809』で、福田和也は「上手いっすねえ……」としかいってない。気持ちはよくわかるが、野阿梓この書評と差し替えたほうがいいだろう。