「進化遺伝学的世界観」補足

tikani_nemuru_Mさんから、NATROMさんのサイトの掲示板で木村資生の優生思想について議論したことがある、とご教示頂いたので(tikani_nemuru_Mさん、ありがとうございます)、消失した掲示板の断片でも残っていないかと探してみた。

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/oldboard.html

編集上の問題か、ちょっと投稿者と投稿内容が一致していない部分もあるように思えるが、掲示板ログ257あたりから木村資生の優生思想の話題が出ている。
これだけでも、全くの素人のわたしが感じた疑問が強ち的外れではなかったことがわかって少し安心。
中でも、たまごちゃん(^-^)ノさんの以下の発言は、わたしの足りない考えをまさに補ってくれるようで、最大限の賛意を示したい。

にゃんこも言っている様に、特別に出生前診断をしなくても重篤な障害なら超音波である程度分かっちゃうことがあるように思うのだ。図らずも重篤な障害に気がついてしまい、それでも産む決心をした・・・なんて場合に「自分で決めたことだろ」って言わない社会であってほしいと思う。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board041006.html#0410031421

どんな選択をしたとしても、当事者たちは断じて軽々しく決めているわけではない。個人レベルでの選択は優生学的な発想も含めて、最大限尊重されるべきだが、それを自己責任として押し付けるようなことがあっては絶対いけないと思う。
木村資生の優生思想が何に由来しているのか、というのはよくわからない。最終章で優生学の話題が出た時は唐突な印象を受けたし、論も散漫な感じがする。遺伝学や進化学が本来的に持っている問題というより、もっと、近代だとか国民国家だとかが登場する際に、普遍的に立ち現れる問題ではないだろうか。