木村資生『生物進化を考える』

これはいい本だなあ。
学説史と進化史がコンパクトに纏められていて、その上で、突然変異と自然淘汰からなる進化の仕組み、中立説に基づいた集団遺伝学、分子進化と続く。各章が独立しているというより、相互に関連し合っているので、突然難しい話になった、という印象がない。だから、わたしみたいな頭の悪い人間でも、朧げながらでもアウトラインが把握出来る。抜き書きしたい記述も沢山ある。
最終章の「進化遺伝学的世界観」では優生の問題を考えているが、これは否定的に……だよな? ん? う……ん? ……えーと。
優生学を肯定的に紹介されてます、木村センセ。
医療の進歩により、過去に有害だった遺伝子の大多数が淘汰に中立になると、集団中に固定されるようになる。これは人類にとって退化であるといえる上、そのような遺伝子が引き起こす害に対応するのは、「社会的に大きな浪費」である。有限のリソースを発展的、建設的な事業に使うためには、どうしても優生学的措置をとるべきである、と先生は仰る。
ところで、本書によると、淘汰に中立な突然変異遺伝子が集団中に固定されるのは全くの偶然で、一代あたりの総繁殖個体の四倍の世代が必要であるという。例えば、二十五万の種であるなら、百万世代必要とする。これを人類に適用すると、気が遠くなる話になる筈である。木村資生が何を懸念しているのかがよくわからない。勿論、わたしの頭が悪いせいである。
数千数万年のスパンで考えると、とか、何百万年先の宇宙植民の可能性を考えると、とかいわれると、その前提で法則に則った計算をすれば成る程蓋然性があるんだろうな、と思うが、なんだか煙に巻かれたようで、すんごいもやもやする。これまで非常に明快に、論理的に話していたひとが急にこんなことを言い出すのだから、余計、困惑するのである。

優生学の問題についてはid:tikani_nemuru_Mさんが熱心に取り上げておられていて、大変勉強になる。

【胎児の権利】とはいったい何か?--優生思想と自由主義をめぐって(予告追記アリ - 地下生活者の手遊び

共同体レベルでの優生思想の実践と、個人レベルでの優生思想の黙認というのは、形式的にまるで別物であること、共同体レベルの優生思想実践はそれこそナチそのものだということはきっちりおさえておくべきところですにゃ。

「有害な突然変異の蓄積をある程度以下にとどめることを目標にする」消極的優生学は、中絶問題と密接に関わる。「進化遺伝学的世界観」ですんごいもやもやしたのは、わたし自身が、中絶問題に、現在のところ明確な答えを持たないせいでもある。中絶の反対には反対だけれども、かといって中絶に積極的賛成というわけではない。個別具体的なケースで、あらゆる要素を検討した上で、答えを出して行くしかない。それでもどこかに必ず皺寄せが行く。
木村資生は「受精卵の体外培養」が進めば優生的処置に対する心理的影響力が弱まるだろう、というのだが、それは中絶問題に絡めていえば、あらゆる屈折を共同体が引き受けるという形で現れるのだろうか? こういう、個人が引き受けるにはしんどい問題を、優生思想とのセットで解決出来てしまう。それこそがナチズムなのかもしれない。

ホロコーストとトリアージは呪われた双子(追記アリ)(再追記アリ) - 地下生活者の手遊び

冒頭のリンク先でid:CloseToTheWallさんが

また、現在、優生学がもし学問的に正当なものとして認められるようになっていたとしても、ホロコーストは批判されなければならないんです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p3#c1218978478

と仰っているが、全く同感。木村資生は優生学が「ナチス・ドイツの非科学的で非人道的な政策に悪用」されたために失墜してしまった、と嘆くが、「もし仮に今、優生学が正当であって全人類の繁栄のためには倫理に目をつむってでもホロコーストが不可欠であるという結論が出たとするならば、それはトリアージと同様に「正しい」と私は認めます。」と科学哲学のセミプロを名乗る人物が、優生学に科学的根拠があるならば、条件さえ揃えばホロコーストまで正しいといいうる、と断言する姿を見るに、科学的に正しいかどうかは、それだけでは政策の正しさを担保しないことがよくわかる。

「進化遺伝学的世界観」に戻ると、医療が高度に発達し、それが政策的に万民に十分に保障されている、「自然淘汰が起こり難い状態」というのはここ数十年、先進国のそれも極一部に過ぎないわけで、その限定的な状態が全人類レベルにまで広がって数千、数万、数百万年も続くという前提自体がちょっとリアリティを感じ難い。それに、現在の地球の気候は例外的に安定していると聞くが、今後、どんな気候変動が起こるかもわからない。未曾有の伝染病だって起こるかもしれない。
まあ、そういった問題が全て解決した上で、と木村資生はいうわけで、不安要素を一々上げるのは野暮かもしれない。なんせ、木村資生が語る未来はスペース・コロニーやダイソン・スフィアに展開する超人類たちだからである。

宇宙に棲みたがる人々 - シートン俗物記

人類の歴史が今後、数百万年続くとして、木村資生の夢見る超人類の未来というのは、彼が「貧相な未来観」として切って捨てる、人類が滅んでネズミが跋扈するという動物学者の書く未来と同じく、多分わたしには関係のない世界の話だなあ。

生物進化を考える (岩波新書)

生物進化を考える (岩波新書)