佐藤亜紀『メッテルニヒ氏の仕事』第二部

今回は前回からの続きとなる第四章の「タレイランの学校」がタレイランの失脚で終わるのを皮切りに、1809年のアスペルン及びワグラムの戦いから1813年のドレスデンライプツィヒの戦いの直前まで、つまりナポレオンの帝国が絶頂期から凋落の一途を辿る過程がメッテルニヒ氏の仕事となる。
第一部から、君主に付き物のある種の病が語られる。君主病、とそれは呼ばれる。
プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム三世は臆病極まりないし、ロシアのアレクサンドル一世は恐怖心の持ち主で、オーストリアのフランツ一世には劣等感、それも「自分の無能に打ち拉がれた」とまでいわれる。
これらは各国の歴史や権力のあり方、正統性に由来する。君主はそれに自覚的であるだけに、その性格や行動を強く規定してしまうのである。例えば、フリードリヒ・ヴィルヘルム三世は、プロイセンが伝統的に拡大政策を国是とし、文官も軍人も君主の意向そっちのけでいかに大国にのし上がるか、を強迫観念のように持つ中で、プロイセンが冒険主義に打って出られる程の強国ではないことに自覚的であるが故の臆病である。アレクサンドル一世は、皇帝の廃位や暗殺が日常茶飯事のロシアに於いて、自らも関与していると噂される父親の暗殺によって即位しているがゆえ、その権力の正統性の担保を、自らの才能に求めようとする。それも完全無欠の才能だ。例えばナポレオンをあらゆる面で凌駕しなければ、彼のロシア皇帝としての地位は安全ではないのである。
第二部の終わりまで、現在のところナポレオンの君主病について語られることはないが、ナポレオンの君主としての正統性、何が彼をして君主たらしめているか、がロシア遠征の失敗の後、露になる。

 ――君らのところでは私が真面目に平和を求めていないと思っているだろうが、私の立場ではそれは難しい。不名誉な講和をすれば、私はお終いだ。昔からある政府で、君主と民草が何世紀もの結び付きを持っているなら、状況に強いられて上手くない条件を受け入れる事もできるだろう。私は成り上がりだ、世論を維持するのに色々しなければならん、私には世論が必要なんだ。そんな種類の和平を公にしてみろ、確かに最初のうちは、喜びの声しか聞こえないだろう。だが直に、政府に対する声高な非難の声が上がって、私は敬意も、人民の信頼も失うだろう。フランス人というのは想像力旺盛なのだ、栄光と、昂揚感が大好きで、移り気なのだ。
 シュヴァルツェンベルクは驚く。ナポレオンは――つまりナポレオンである。一度や二度敗れたところでナポレオンでなくなる訳ではない。二十年の軍事的名声が一度の戦役の失敗でゼロになる、などということは、シュヴァルツェンベルクが軍人であれば尚の事、ありそうにも思えない。ところが、何故かナポレオンばかりかシャンパニーまで、フランスの名声は地に落ち、このままでは国内の支持も怪しいと思い込んでいる。
P62~63

メッテルニヒ氏はナポレオンに理想的な君主像を見出していた。意見や反論は全て情報として処理され、決めるのもナポレオン、責任をとるのもナポレオン、という意思決定システムは、ウィーンやプロイセンの稟議方式や廷臣たちの政局に左右される君主制に比べると、遥かに効率が良く、明快そのものなのだ。その上、ナポレオンのひととなりそのものにも魅せられてもいた。談話を報告書に全文引用してしまうウォッチャーと化してしまうほどで、ナポレオンの帝国の威信と相俟って、他国の君主のような病の兆候は欠片も見出せない。
ところが、1809年のナポレオンは、かつての快活さを失っている。スペインやポーランドタレイランらの反対派、と内憂外患がナポレオンを不機嫌にさせている上に、動員する軍も倍以上に膨れ上がっているナポレオンの戦争は、死傷者も同じように膨れ上がっている。それを目の当たりにして衝撃を受け、これ以上の殺し合いを止めるため、とフリードリヒ・シュタップスという何の背後関係もない十七歳の徒弟がナポレオンに対し暗殺未遂を起こしたことは、この少年に自らの罪を突きつけられた、と語られる。
このナポレオンと、第二部の終わり、マルコリーニ宮の会談で、メッテルニヒ氏は大喧嘩をする。「醒めた理性の世紀が手塩に掛けて育てた人間の粋P71」であるメッテルニヒ氏は、我を忘れて怒る。そして、メッテルニヒ氏が人前で怒ることは滅多にないことなのである。

 ――私は何も譲らん、法的にフランスのものになっているなら村一つ譲らん。裸一貫で王位に昇り詰めた男、砲火を二十年潜ってきた男には弾なんか怖くもない、脅したって無駄だ、命なんか何でもないんだよ、私のも、他人のもな。私の命の値打ちはどれくらいだ? 精々十万の人命程度のものだろう。必要なら、私は百万だって犠牲にする。どうせ君らには何も強制はできない。山ほど戦役を戦っても白星を増やすよう無理強いできただけだ。私は滅びる。王朝も、私と一緒にな。そんなのは私にはどうでもいいことだ。
 自暴自棄、と言う他ない。ただし、ブブナはこの自暴自棄に深く打たれたらしい。それはまさに悲劇の英雄に相応しい自暴自棄であるように、ブブナには思える。言わばナポレオンは歴史を――歴史小説好きが好むような歴史を生きることを望んでおり、その前には帝国も王朝も彼自身も二の次なのだ、と。
 人がその種の戯言を垂れ流すようになった時、もっと簡明で適切な言葉がある――焼きが回った、と言う奴だ。
P66

こういった演説は「歴史小説好きが好むような歴史」小説ならば、恐らくはナポレオンの見せ場にしたであろう。ナポレオンの過剰に芝居じみた振る舞いは、それを一切の脚色なしに写し取ったであろう報告書を元にしても、十分に面白い。いや、面白すぎるほどである。しかし、『メッテルニヒ氏の仕事』では、これは飽くまで「戯言」なのだ。この作品自体の、「歴史小説好きが好むような歴史」小説との距離が明示された箇所ではないかと思う。
この作品の、歴史上の人物の行動のみに焦点を当てたかのような禁欲的な記述は、この時代の人間の思考を再現することを目的としたものではないだろうか。外交や政治を心性面から再現する……ともいえるかもしれない。だから、同時代の史料にないような心理描写や苦悩は当然のように書き込まれず、読者に安直な感情移入を許さない。求められるのは、恐らく、その人物がなぜそのような行動を取るのか、という理解だと思う。
そして、このようにして選択されたスタイルは、メッテルニヒ氏の立場や特性、メッテルニヒ氏の嘘を掬い上げるのを目的とした場合、極めて有効に働くのではないか。
タレイランの「メッテルニヒは始終嘘を吐くが滅多に人を騙さない、私は滅多に嘘は吐かないが、人は騙す」という言葉通り、メッテルニヒ氏は人を思うままに動かすことはしない。メッテルニヒ氏が見せる嘘は、「フランスではフランスの音楽を、ドイツではドイツの音楽を褒めるようになさいP33」という、母からの教えの賜物ではあるのだが、タレイランのように状況を作ったり介入したりするのとは異なり、流動的な状況を前提として、可能な限り交渉に使えるオプションを確保しておきたいという政治、外交スタイルにも起因している。ワグラムの戦いの後での和平交渉で、主戦派のゲンツが「戦闘が終わり、総司令部がエルンストブルンに退いたところでメッテルニヒ氏は徐にトランクを開け、中からフランスとの和平を取り出し、かくてリヒテンシュタイン公がナポレオンのもとに送られたのだP33」と書くように、メッテルニヒ氏は味方からはナポレオンによって送り込まれた和平特使と目されている。だが、メッテルニヒ氏は戦争続行も否定しない。ゲンツにはメッテルニヒ氏の真意が読み取れず、メッテルニヒ氏の嘘の犠牲になったような形なのだが、これは強ち嘘でもない。例えば、主戦派のシュタディオンの慰留を皇帝に進言するのも、皇帝を退位させないための材料として、交渉の結果、主戦派に詰め腹を切らせるのを前提としてのものであるし、皇帝が退位すれば帝国は解体し、軍事的空白になるのを脅す意味でも主戦派の存在は有効な材料なのである。
この和平交渉の顛末は、ゲンツはおろか宮廷もメッテルニヒ氏の真意を理解していなかったことから失敗に終わるのだが、後にメッテルニヒ氏がゲンツに交渉の内容を話しても全く本気にされず、失脚したシュタディオンからさえも「極楽蜻蛉」の「空恐ろしい軽薄さ」故の行動で、自分を追い落とすためという野心があればまだ納得出来る、とまで評されるなど散々なのだが、メッテルニヒ氏の行動がいかに必然的なものだったのか、は交渉の過程を読めばこれ以上ないほどわかるのだ。

文学界 2012年 03月号 [雑誌]

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