荒川弘『鋼の錬金術師』

正直、ここまでの人間讃歌で幕を引くとは思わなかったなあ。
タッカーとかキンブリーとかホムンクルスとかが出て来た時は、錬金術とその倫理、果ては人間性とは何か、を問うのかと思いきや、飽くまで健全な人間性の完全勝利ですよ。思わず岩波文庫版のゴーリキーどん底』第四幕のサーチンの台詞「にいんげえん!」を探してしまったが、これは人間性は無条件で素晴らしい、ではなく、人間性に信頼を置くべきである、という表明なんだろう。
ところで、ホムンクルスのお父様が神になってやりたかったこととはなんだったのだろうか。
フラスコから出て来て、そこからさらに自由になりたかったのであれば、権力の中枢で陰謀ごっこに精を出すよりもっと他にいい手段があったようにも思う。それこそ初期のホムンクルスが自由気侭な行動と思考で独特の魅力を振りまいていたように。
あと、やはり最後は一つ目の巨人のままのほうが強かったんではないだろうか。

さて、お父様と同じように魔法陣を描いてそこに血を吸わせて神になろうとした、といえば、いうまでもなくガル博士である。
アラン・ムーアは『フロム・ヘル』で、切り裂きジャックをモチーフに壮大な陰謀とオカルトの世界を描き出した。作中で切り裂きジャックの正体とされるガル博士は、女王から王族のスキャンダル潰しの命を受けたのをこれ幸いと、独自の理論でロンドンに見いだした魔法陣の上で次々と娼婦を惨殺する。結果、彼が神になったかどうかはさておき、死後、ウィリアム・ブレイクの前に鱗だらけの幽霊として現れたり、若かりし日の殺人鬼の前で自分自身の生首を浮かばせたり、犯行が発覚する前に灰皿をちょっと動かしてみたりと、悪戯好きな妖怪みたいなことが出来るようになった。

お父様の目指すところもきっとこれだったに違いない。

なお、ムーアは、切り裂きジャックの登場を、ヒトラーの受胎の場面等を配置することによって、来るべき戦争と殺戮の世紀を予感させるものとして位置づけている。
鋼の錬金術師』の世界は当然架空のものであるが、時代設定は『フロム・ヘル』と多分近い。『鋼の錬金術師』の序盤に登場する連続殺人鬼バリー・ザ・チョッパーはジャック・ザ・リッパーのことであろう。
その点では、第一期のアニメ版、及び劇場版が目指した方向というのはアラン・ムーアと問題意識で重なる部分があったのかもしれない。「えらい説教臭えアニメだなあ」と思いながら見てましたが。

と、いうわけで、「ハガレン」が終わって寂しい、来年の劇場版まで待てない、という方には『フロム・ヘル』がおすすめです!

鋼の錬金術師 27 (ガンガンコミックス)

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フロム・ヘル 上

フロム・ヘル 上

フロム・ヘル 下

フロム・ヘル 下