キップ・ハンラハン『Coup De Tête』

キップ・ハンラハンは充実期のピアソラの一連のスタジオ録音をプロデュースしたひと、として有名だろうか。
キップ・ハンラハンは、アイルランド人の父と、サマルカンド出身のユダヤ人の母との間に生まれ、ニューヨークのブロンクスで育った。自身が創設したアメリカン・クラーヴェから出されているキップ・ハンラハン名義のアルバムは、リズムを意識して聴くリスナーならば、目眩に近い陶酔を齎してくれるだろう。錯綜するリズムは、知的に制御されているけれど、頭だけで作られたものではない。

『THIS NIGHT COMES OUT OF BOTH OF US』

多彩な顔ぶれが名を連ねるこのアルバムだが、コンガのジェリー・ゴンザレス、エレクトリックギターのアート・リンゼイ、エレクトリックベースのビル・ラズウェルはほぼ全ての曲で参加している。彼らこそがこのアルバムの重要なメンバーであると、キップ・ハンラハンは考えたのであろう。
さらに、なんといっても、なのだが、ハンラハンの書く詩が素晴らしい。愛にまつわる仄暗い情熱が(作詞当時は「性的興奮に支配されていた」らしい)気怠い声で、ハンラハンやカーラ・ブレイ、リザ・ハーマンによって「朗唱」される。
さて、キップ・ハンラハンのアルバムは、数年前からSACD盤に移行し始めているが、今回SACD盤に収録されている松山晋也によるインタヴューがべらぼうに面白い。
マフィアから三千ドル借りてレコード会社を始めた話とか、エドワード・サイードの話、娘の自慢話、借金漬けの話……。キップ・ハンラハンの知性は言葉の端々に漲るが、思想、哲学、それから詩人の魂が見事に刻印されているのはアメリカン・クラーヴェの名前の由来を尋ねられた時であろうか。

クラーヴェって知ってるでしょ。僕たちはアメリカで育って、そこでクラーヴェを習ったんだけど、僕達は自分達がアメリカ人だとは思っていなかった。アメリカの部外者だと思ってた。ニューヨークの外へちょっと行っただけで、自分がいかにアメリカ人じゃないかってことを悟る。それは正しくて、実際の話、僕達はアメリカの権力や、アメリカの社会や社会構造の全く枠外にいるんだ。僕のパスポートはアメリカだし、僕達はアメリカで育ち、クラーヴェをカウントし、作りだしてはいるんだけれども、僕達のほとんどの人間にとって、2拍目と4拍目のアクセントは、アフリカン・ミュージックのアクセントではなくて、金と権力のアクセントなんだ。僕達とは無縁のね。クラーヴェをカウントしてはいるけれども、僕達に言わせればアメリカン・ミュージックは、ロックは、資本主義のサウンドトラック、資本主義の背後で鳴る音楽、なんだよ。僕達にしてみれば、それがアメリカン・クラーヴェ。これは皮肉なタイトルでね。レーベルの名前には皮肉がこもってる。

「2拍目と4拍目のアクセントは、アフリカン・ミュージックのアクセントではなくて、金と権力のアクセントなんだ。」なんて、かっこ良すぎる……! 今度、どこかで使おう。
どこで?

COUP DE TETE

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