笙野頼子『母の発達』

ちがうわ。あのな、おかあさんな、まず、お母さんらしいおかあさんを、センメツすんのや。それからあるべきお母さん白書をソウカツするのや、それでな、もともとからあったお母さんを全部カイタイするのや。P69~70

これは史上最も魅力的に描かれたお母さんではないだろうか。
兎に角悪い。なんせ邪悪なお母さんだけを残し、普通のお母さんはただの虫と呼ばれ殺される。五十音順に名付けられた選りすぐりのお母さんたちはまるで陽気な悪漢だらけであり、『ガルガンチュワ物語』そこのけに暴れ回る。

「母の縮小」はまず重苦しい一人称の語りから始まる。理科系でない女は人にあらず、という母親から「私」は医者になることを強制され、その重圧からか「私」が登校拒否になり、成績が落ちて医者になることが絶望的になると、今度は結婚しろ、化粧をしろ、と干渉される。「私」は母のいいなりで、母の顔色をうかがって生きているのだ。
そして、ある日、諸々の抑圧から引き起こされたであろう「私」の頭痛が頂点に達する。それは母との対決が不可避であることを予感させ、読むものに緊張感を齎す。ところがここで、極限まで高まった緊張を、突然、「私」の突拍子もない「ナレーション」が蹴り倒す。

――あー、おかあさんがちいそうなる。
  おかあさんがちいさいっ。おかあさんが豆粒みたようになってしまう。P15

「みたように」といういいまわしが、グリム童話の訳語で覚えた、普段使わない表現であると説明されるのは重要かも知れない。これをきっかけに、物語の世界に入ってしまったという感じがした、という宣言も同時になされるのである。
以降、地の文は相変わらず重苦しい深刻な語り口なのだが、「私」の「ナレーション」や「実況」が度々その緊張を和らげる。緊張と緩和が生む、ダイナミックな表現だと思う。

 やがて――テレビや図鑑の中の動物の習性を全部使い尽くしてしまったため、一旦語り止めなくてはならなかった私の目に、ある日、前よりも一層怨みに満ちた顔の、言いたい事を全部黙らせられてしまって表情の強ばった母の顔が見えた。
 その母を見ているとまた恐怖が蘇った。それからは母をまとまった冒険の旅に出す事に決めた。縮小後の母の性格はそういう事に向いているように思えたのだった。私は実況中継した。
――……はいっ今日はおかあさん、風呂桶の横断に出かけましたっ、はたして泳いで渡るか、それとも石鹸箱の船にのるかっ、それともそれとも、おや、石鹸箱の中に溜まった水を、頭を突っ込んでなめております。おなかを壊しますが。あああ、おかあさんというものはまったく無鉄砲なものです。ヒヨドリよりは利口だが、どうも我慢が足りないっ。P21~22

ところで、「母の縮小」は枠組み的には模範的な私小説のパロディを踏んでいるように思う。「私」によって語られる挫折と実存の危機があり、母との確執の後、「私」が家を出る形で閉じられる。しかしその確執は脱臼させられたものであり、「私」は実は家から一歩も出てはいないのである。

「母の発達」では冒頭では三人称の語りが採用されている。「母の縮小」で見られた「私」の語りは日記として現れるのだが、さらに、注までが加わる。この注もヤツノの独白、作者の注、ヤツノの日記の独白と分裂して行く。この章では母の分裂が語られるが、語りの分裂でもあるのだ。
そして目を引くのは大きな鍵括弧で括られたゴシック体の会話文。読解力の不足のため意図を掴みかねるが、大体破天荒な会話が強調される。

――おかあさーん。
――へっへーい。
――おかあさーん。
――ぶりぶりぶり。P67

このように複数の語り/声が次々と現れる中、この章の最大の語りは、やはり命名されたお母さんそれぞれに割り振られる小話だろう。その語り口が実に魅力的なのだ。民話の語りに近いと感じた。

「み」の字のおかあさんはミンネジンガーのおかあさんやった。そりゃミンネジンガーいうたらドイツ中世の吟遊詩人や。ま、都々逸で詩吟歌うような事して生活しとった。それでもなにしろおかあさんの事や、普通のミンネジンガーなんかやってられん、ドイツ連邦の中を流れ、流れ、してな、なんやしらんけど東の方に行ってしもて、えらいここはあったかい国やんかと思うた時にはもう、気が付いたらサルタンのおるような国の宮廷で歌っとった。サルタンのところにはなんとミンネジンガーが一杯来とった。P133

さて、日記の「私」と三人称で語られる「ヤツノ」の二つの声はお互いに反響し合い、批評の言葉を投げ合うのだが、そもそも、日記の語りと三人称の語りの境目はこれまでの様々な声の登場によって曖昧なものとされており、浸食し合った結果、最終的に、「私」と「ヤツノ」は同じ階層に登場する。読んでいてどこまでが日記の記述か、見失わせられることが多いこの章だが、これは一種の種明かしかもしれない。

ヤツノはそれでも迷った。
――小話と名前はそしたらどうしようか。
すると母は爽やかな声になって私に命令した。P146

「母の大回転音頭」では、これまでに比べると、一見、形式的には安定した三人称の語りに見える。
ここで、『母の発達』で重要な役割を果たしているワープロを巡る構図に注目したい。

「母の縮小」では母が取り込まれたワープロのディスプレイ上で縮小の果てに消失した後、「私」が家を出る(という形で、実は「私」は家を出ていない)。
「母の発達」では、ワープロを用いて母の小話を作って行き、母はワープロと一体化する。
「母の大回転音頭」ではワープロとなった母が家を出るのを追いかける形で、ヤツノもまた家を出る。そして、帰って来た母はワープロのキーボード上で大回転音頭を踊り、ヤツノを勇気づける。

「母の縮小」で出て来るワープロは買ったものとされているのだが、「母の発達」では「親戚のおさがりをヤツノが貰って来た」と説明される。「母の大回転音頭」のワープロは、そのパワーアップヴァージョンである。
「母の縮小」自体が「母の発達」で幻であったとちゃぶ台返しされるので、「母の縮小」の語りの信用性は限りなく低くなってしまうのだが、「母の大回転音頭」は「母の縮小」の変奏、あるいは展開に違いないと思う。そこへ「母の発達」を挟むと、「母の大回転音頭」の安定した語りは、「母の発達」で無数に現れた声を通過した上で成立する、もしくは、それらの声が統合された結果だと見ることは出来ないだろうか。

何が、やで、だ。そのやで、はどこの池カラトッテキタンダバーカ。P45

その「さあ」はそもそもどこのドブから拾って来たんだろうこの大馬鹿野郎め……旅行のはてに三重県に帰って来たヤツノの耳は、関西弁の語尾の「やで」に殆ど愛を感じるようになってしまっていた。三重県の言葉は、母と語るための言葉だった。P163~164

この対比的に描かれた二つの場面は、勿論、三重県人をやめると宣言したヤツノの、故郷との和解をわかりやすく書いたものであろう。
しかし、旅行のはてに、と語られるが、その旅行は「母の発達」を経過した読者からするとただの地理的、距離的なものではなく、「やで」を用いた小話を語った言葉の奔流のはてに、と容易に読み替えることが出来る。ヤツノの三年に渡る、それも騒動を起こしつつとされながらも簡単に記述される旅行は、「母の発達」で語られたおかあさんの大冒険を追体験するものだったのではないか。
さらに、「母の発達」で分裂した母は、「母の大回転音頭」でなおも分裂し、そして統合される。

それぞれの音の母は、必ず共喰いをし、結局また五十音の母が勢揃いした。そうして再生して来た母は元の母よりも、はるかに複雑でまた邪悪化していた。分化された後の統合によって、一体毎の母の中には、矛盾の生むダイナミズムと、戦い合う多様性の豊穣さが同居したのだった。P172

語りのレベルに於いても、そうした運動が起きたのではないだろうかと、混沌とした語りの複合体の後に現れた、この章を前に考えてしまう。そこには、確かに、「矛盾の生むダイナミズムと、戦い合う多様性の豊穣さが同居」しているのである。

三重県を舞台にしたNHKの朝の連続ドラマにならんかしら。

母の発達 (河出文庫―文芸コレクション)

母の発達 (河出文庫―文芸コレクション)